レッツゴーよしまさの実家は埼玉県!金持ち説の根拠は10年通った学習院

レッツゴーよしまさの実家は埼玉県!金持ち説の根拠は10年通った学習院

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志村けんさんのものまねで一躍注目を集めたレッツゴーよしまささん。その実家がどこにあるのか、気になっている方は多いのではないでしょうか。

調べていくと、実家についての情報は埼玉県というところで止まっていて、市区町村までは出てきません。そして「実家が金持ち」と言われる根拠も、実はたった一つしかないんです。

父が録画したドリフのビデオを擦り切れるまで観ていた少年時代から、あの芸が生まれるまで。実家で過ごした時間を、順を追って見ていきますね。

この記事を読むとわかること
・レッツゴーよしまさの実家が埼玉県のどこなのか、どこまで公表されているか
・実家が金持ちと言われる根拠と、その情報がどこまで確かなのか
・父親・母親の人物像と、ものまねの原点になった実家での過ごし方

レッツゴーよしまさの実家と家庭環境

志村けんさんのものまねで一気に名前が知られたレッツゴーよしまささん。あの完成度の裏側には、実家で過ごした時間が深く関わっています。まずは実家の場所から、ご両親の人物像、そして「実家が金持ち」と言われる理由まで、順番に見ていきましょう。

実家は埼玉県のどこにある?

レッツゴーよしまささんの実家について、まず押さえておきたいのが所在地です。

各種プロフィールで一致しているのは、出身地が埼玉県という点です。

ここはWikipediaをはじめ複数の媒体が同じ表記をしているので、まず動かない情報だと考えていいでしょう。

ただ、そこから先の「埼玉県のどこなのか」がなかなか出てきません。

市区町村レベルまで公表している媒体は見当たらず、ご本人がテレビやインタビューで具体的な地名を口にしたという記録も確認できませんでした。

一部のブログでは川口市内の小学校に通っていたのではないかという書き方をしているところもあります。

ただこれは断定された情報ではなく、あくまで推定として置かれているものです。

一方でWikipediaは出身小学校を埼玉大学教育学部附属小学校と記載しています。

この学校はさいたま市にあるので、川口市の話とは場所が食い違うんですよね。

つまり、実家の所在地は埼玉県までは確実で、そこから先の市区町村は現時点で確定していないというのが正確なところです。

ここ、気になりますよね。でも人によっては今もご家族が住んでいる場所ですから、公表されないのはむしろ自然なことだと思います。

出身小学校の情報が食い違っている

小学校の情報が二通りある点について、少しだけ整理しておきます。

媒体 記載されている小学校 所在地
Wikipedia 埼玉大学教育学部附属小学校 さいたま市
学歴系まとめサイト 川口市内の小学校(推定) 川口市

こうして並べると、片方は校名まで書いていて、もう片方は市内の学校という括りにとどまっています。

書きぶりの精度が違うので、同じ重さの情報として扱うのは無理があります。

とはいえ、どちらが正しいかを外側から確定させる材料はありません。

この記事では両方を並べたうえで、確定していないという扱いにしておきますね。

実家が金持ちと言われる理由

検索するとかなりの確率でセットで出てくるのが、実家が金持ちという話題です。

ではその根拠は何なのかというと、ほぼ一点に集約されます。

中学から大学まで学習院に通っていたという学歴です。

学習院中等科は中学受験で入るタイプの私立校で、そこから高等科、大学までを内部進学で進んでいます。

つまり中学から大学卒業までの10年間、ずっと私立に通っていたことになります。

私立に10年通うとなれば、学費を含めた家庭の負担はそれなりの規模になります。

しかも学習院は入学すれば終わりという学校ではなく、学校行事や周囲の環境も含めて相応の余裕が求められるとよく言われる学校です。

ここから実家に経済的な余裕があったのではと受け取られている、という流れですね。

ただ、ここは丁寧に線を引いておきたいところです。

ご両親の年収や職業、資産についての具体的な数字は一切公表されていません

学習院に通えたという事実から逆算されているだけで、収入や資産を直接示す情報が出てきたわけではないんです。

私立に長く通える家庭が世の中に一定数あることを考えれば、この一点だけでかなりの資産家と断定するのは行き過ぎだと思います。

言えるのは、私立に10年通わせる選択ができる家庭だったということまでですね。

中学受験を選んだのは父親の言葉がきっかけ

学習院に進んだ経緯についても、本人が語っている内容があります。

きっかけになったのは、お父さんからの言葉でした。

子供のうちから最先端のものに触れろ、東京に行け。そういう趣旨の言葉をかけられ、そこから中学受験に向かったと語られています。

これ、金銭的な話というより教育方針の話ですよね。

家の外へ、しかも早いうちに出しておこうという考え方が根っこにあるように感じます。

お金があるから私立、というより、こういう場所で育ってほしいという意思のほうが先に立っていた印象を受けます。

父はドリフ好きで教育に熱心だった

レッツゴーよしまささんの実家を語るうえで、お父さんの存在は外せません。

名前も顔写真も公表されていない一般の方ですが、エピソードだけはかなり残っています。

まず特徴的なのが、ザ・ドリフターズの大ファンだったという点です。

家にはお父さんが録画したドリフの番組が大量にあり、それが幼いよしまささんの目に触れる環境になっていました。

本人はインタビューで、親に録画してもらったドリフの番組を擦り切れるほど観て、実際に擦り切れたと語っています。

比喩ではなく本当にテープが駄目になるまで観たわけです。

……なんか、いいですよね。子どもが同じものを何百回も再生するのを止めなかった家、という光景が浮かびます。

そしてもう一つの側面が、先ほど触れた教育に対する姿勢です。

好きなことは徹底的に突き詰めろという言葉も、お父さんから受け取ったものとして紹介されています。

好きなものを渡し、それを突き詰めろと言い、そのうえで外の世界を見てこいと送り出す。

今のレッツゴーよしまさを形づくった要素の多くが、お父さんの影響下にあると言っていいと思います。

お父さんの職業については情報が割れている

一方で、お父さんの職業については媒体によって書き方が違います。

一般の会社員だとするものもあれば、テレビ関係の仕事に近い立場だったのではと推測するものもあります。

後者の根拠になっているのは、後ほど触れる知り合いにテレビ関係者が複数いたという話です。

ただ、知り合いがいることと本人がその業界にいることはイコールではありません。

現時点では職業を特定できる公表情報はないと考えるのが妥当です。

父の知人にテレビ関係者がいた

お父さんにまつわる話で、いちばん実家らしいエピソードがこれです。

よしまささんは子どもの頃に、テレビ番組の収録現場を見学した経験があると語られています。

その入口になったのが、お父さんの知り合いでした。

知人にものまね番組のプロデューサーがいて、その伝手で収録を見せてもらったという流れです。

見学した番組として名前が挙がっているのが『志村けんのバカ殿様』で、小学6年生ごろの出来事だったとされています。

これ、後の展開を知ったうえで読むとなかなかすごい話だと思いませんか。

家でビデオを擦り切れるまで観ていた志村けんさんの現場に、子どものうちに立ち入っているわけです。

もちろん、そこで直接何かが決まったわけではありません。

本人が語っているところによれば、志村さんを観るのが好きなことと、ものまねをやることは長いあいだ別々の好きなことでした。

実際、若い頃のレパートリーは昭和歌謡の歌手ばかりで、志村さんをものまねの対象にはしていなかったそうです。

それでも、テレビの中の世界が行けない場所ではないと子どものうちに知ったことは、その後の進み方に効いていたはずです。

こういう体験ができるかどうかは、家庭の人間関係にかなり左右されますよね。

実家の環境という意味では、収入よりもこちらのほうが大きかったのかもしれないと個人的には思います。

母もお笑い好きで応援していた

お母さんについての情報は、お父さんに比べると多くありません。

名前も顔写真も公表されておらず、一般の方として過ごされています。

ただ、お笑いやものまねに対して距離を置いていたわけではなさそうな話は残っています。

SNSでものまねを一緒に観たことに触れていたという記述があり、息子の活動を遠くから見ているというより、同じ趣味を共有している空気を感じます。

ご両親そろって、好きなことをやったらいいんじゃない、というスタンスだったという証言もあります。

ものまねをしている息子を、否定するでも過度に持ち上げるでもなく、そのまま見守るタイプのご家庭だったようですね。

ものまねという趣味が実家で否定されなかったこと、これは思っている以上に大きいと思います。

学校でも家でも肯定されない趣味って、たいてい続きませんから。

結婚披露宴でドリフの扮装をしたという話

ご両親のキャラクターがよく表れているエピソードとして、こんな話も紹介されています。

ご自身の結婚披露宴で、お父さんがバカ殿様、お母さんが腰元の扮装をしていたというものです。

これは単独のソースで語られている話なので、確定した情報として扱うことはできません。

ただ、もし本当なら家のドリフ好きは息子に始まった話ではなく、そもそも夫婦の共通言語だったということになります。

……そう考えると、あの家に育った子がものまね芸人になるのは、わりと自然な流れだった気がしてきますよね。

実家で育った幼少期がものまねの原点

ここまで見てきた実家の要素が、どうつながって今の芸につながっているのか。

時系列で並べると流れが見えやすくなります。

時期 実家で起きていたこと
幼少期 父が録画したドリフのビデオを繰り返し観る
小学6年ごろ 父の知人の伝手で『志村けんのバカ殿様』の収録を見学
中学2年ごろ 志村けん出演のCMを録るためにものまね番組も録画し、ものまねにハマる
中学時代 深夜番組を録画し、擦り切れるまで観てものまねを開始
高校時代 帰宅部として学園祭でものまねショーを開催

こうして並べると、きっかけが全部、家にあった録画から始まっているのが分かります。

とくに中学2年のときの話が面白くて、志村さんが出ているCMを録画したくてものまね番組ごと録ったら、そこで観たものまね芸人に衝撃を受けてしまった、という順番なんですね。

本人はこのとき、なかじままりさんに衝撃を受けたと語っています。

つまりものまねの入口は志村けんさん本人ではなく、志村さんを追いかけていた副産物だったということです。

え、そうだったの!?って感じですよね。

そこから中学時代は志村さんの研究に没頭し、ビデオを擦り切れるまで観る、コントのセリフを全部文字起こしする、といったことをやっていたと語られています。

中学生がやることの熱量ではありません。

そして高校では帰宅部を選び、学園祭でものまねショーを開催しています。

このとき披露していたのが城みちるさん、あいざき進也さん、野口五郎さん、小柳ルミ子さんといった昭和歌謡の歌手たちで、同級生ではなく保護者たちに大ウケしたそうです。

自分と同世代に向けたネタではなく、親世代に刺さるネタを選んでいたわけですね。

これも家で観ていたものが親世代のテレビだったことを考えれば、筋が通っています。

実家のリビングで観ていたものが、そのまま芸のレパートリーになったという言い方ができると思います。

志村けんのものまねを始めたのは実家を出たあと

意外に思われるかもしれませんが、志村けんさんのものまねを本格的に始めたのはずっと後のことです。

きっかけは2020年、志村さんが亡くなられたことでした。

本人は、新しいコントがもう観られないと思ったときにあまりにも悲しくて、もしご存命だったらどんなコントをやっていただろうと想像した、という趣旨のことを語っています。

そこから生まれたのが、コントのギャグではなく素のしゃべりに焦点を当てた芸でした。

ご本人と会えなかったことについて、涙ぐみながら、会えない運命だったのかもしれないですと話したとも伝えられています。

……ここは正直、読んでいて胸が詰まりました。

家で観ていた人の現場に立ち入った小学生が、その人に会えないまま、その人を演じる側になったわけですから。

レッツゴーよしまさの実家についての世間の声

実家まわりの話題について、どんな受け取られ方をしているのかも見ておきましょう。

まず目立つのが、学習院という学歴に対する驚きです。

ものまね芸人という肩書きと名門私立のイメージが結びつきにくいため、お坊ちゃまという言葉で紹介されることが多くなっています。

実際、学歴を扱った記事のタイトルには、学習院出身のお坊ちゃまといった表現が使われています。

次に多いのが、ご両親の理解に対する好意的な反応です。

ものまねを続けることを止めなかった家庭環境について、羨ましいという受け取り方をされることが多いようですね。

そしてもう一つが、志村けんさんへの向き合い方に対する評価です。

芸能ライターによる分析記事なども出ており、単なる形態模写ではなく素のしゃべりに焦点を当てた点が注目された理由として挙げられています。

この着眼点が、家でビデオを擦り切れるまで観ていた蓄積から出てきたものだと考えると、実家での過ごし方がそのまま強みになっているわけです。

実家の環境が芸のオリジナリティにまで届いている、珍しいタイプの芸人さんだと思います。

レッツゴーよしまさの実家を調べる人向けの関連情報

実家まわりを調べていると、家族構成や学歴、本名など気になる点が次々に出てきますよね。ここからは実家に関連して検索されることの多いテーマを、まとめて整理していきます。

家族構成は父・母・弟の4人

家族構成については、媒体によって書かれ方が分かれています。

兄弟に関するエピソードが見当たらないことから一人っ子ではないかとする記述がある一方で、弟がいるとはっきり書いている媒体もあります。

弟がいるとする側の情報では、3歳下の弟という具体的な年齢差まで示されています。

ここまで具体的な数字が出ている以上、兄弟の話が見つからないから一人っ子かもしれないという書き方より、弟がいるとする情報のほうが重く見えます。

ただし複数の媒体で裏が取れているとまでは言えないので、確定した情報ではありません。

現時点で言えるのは、父・母・本人・弟の4人家族である可能性が高いものの、公式に発表されたものではないということです。

弟は銀行員として働いている

弟さんについても、もう少しだけ情報があります。

職業は銀行員とされており、兄のテレビ出演を応援しているとも書かれています。

芸能とはまったく別の道に進んでいるわけですね。

これも単独の情報なので断定はできませんが、事実だとすればなかなか対照的な兄弟です。

学習院で育った兄弟のうち、片方が金融、片方がものまね。

……面白いですよね、この分かれ方。

なお、弟さんの名前や顔写真は公表されていません。

一般の方なので、そのまま静かにしておくのが筋だと思います。

学歴は学習院中等科から大学まで内部進学

実家が金持ちと言われる根拠になっている学歴を、あらためて整理しておきます。

区分 学校
小学校 埼玉大学教育学部附属小学校(Wikipedia)/川口市内の小学校とする説もあり
中学 学習院中等科(中学受験で入学)
高校 学習院高等科(内部進学)
大学 学習院大学経済学部経済学科(卒業)

中学受験で学習院中等科に入り、そこから高等科、大学までは内部進学で進んでいます。

偏差値については媒体によって幅がありますが、いずれも難関に分類される数字が挙げられています。

大学は経済学部経済学科の卒業で、ここも複数の媒体で一致しています。

大学在籍中にはすでにものまねの営業やショーパブでの活動を始めていたという点も押さえておきたいところです。

経済学部に通いながらショーパブに立っていたわけで、方向転換というより並走ですね。

芸名はコージー冨田から贈られたもの

大学時代のエピソードとして、芸名の由来も紹介されています。

ショーパブで活動していた時期に、コージー冨田さんからレッツゴーよしまさという名前をもらったとされています。

本名のよしまさを残した芸名なので、実家からもらった名前が今もそのまま看板に載っている形になります。

本名は立川義将

本名についても情報が出ています。

立川義将(たちかわ よしまさ)というのが本名です。

芸名のよしまさは、本名の下の名前をそのまま使ったものということになりますね。

生年月日は1989年5月17日で、こちらも複数の媒体で一致しています。

なお、学歴を扱う一部の記事では本名を非公表としているものもあります。

ただWikipediaをはじめ本名を明記している媒体が複数あるため、現在は公表されている情報として扱っていいでしょう。

結婚や妻・子どもの情報

家族の話題つながりで、結婚についても触れておきます。

現時点で、結婚や妻・子どもに関する発表は確認できません

独身であるとする記述があり、過去に交際相手についてSNSで触れたことがあるとも書かれていますが、現在の状況について公表されているものはありません。

ものまね芸人としての活動が本格化したのがここ数年ということもあり、プライベートについての情報自体がまだ少ないんですよね。

ここは今後の発表を待つところだと思います。

会社員とものまねの二足のわらじ

最後に、実家の教育方針の話とつながる部分に触れておきます。

レッツゴーよしまささんは大学卒業後、アミューズメント系の会社に就職しています。

そしてサラリーマンとして働きながら、休日にショーパブでものまね活動を続けていました。

2022年9月に太田プロダクションに所属したあとも、この会社員とものまねタレントの二足のわらじは続いています。

テレビで見る機会が増えてからも会社員を辞めていないというのは、なかなかない話です。

翌2023年1月には、ものまね芸人ランキングで1位に選ばれたとも記録されています。

その状態でも会社員を続けているわけですから、相当な体力ですよね。

ここで思い出したいのが、お父さんの、好きなことは徹底的に突き詰めろという言葉です。

好きなことを突き詰めるのと、生活の土台を持っておくことは、本来は矛盾しません。

どちらも手放さない今の働き方は、実家で受け取った価値観の延長線上にあるように見えます。

レッツゴーよしまさの実家のまとめ

  • 出身地は埼玉県で、市区町村までは公表されていない
  • 出身小学校は埼玉大学教育学部附属小学校とする記載と、川口市内とする説があり食い違っている
  • 実家が金持ちと言われる根拠は、中学から大学まで学習院に通った学歴のみ
  • 両親の年収・職業・資産を示す具体的な情報は公表されていない
  • 中学受験のきっかけは東京に行けという父親の言葉だったとされる
  • 父親はザ・ドリフターズの大ファンで、家に録画が大量にあった
  • 父親の職業は一般の会社員とする記述とテレビ関係とする推測があり定まっていない
  • 父親の知人にものまね番組のプロデューサーがおり、小学6年ごろに収録を見学した
  • 見学した番組は志村けんのバカ殿様とされる
  • 母親も笑いへの関心があり、ものまねを一緒に楽しんでいたとされる
  • 両親は好きなことをやったらいいというスタンスだった
  • 家族構成は父・母・本人・3歳下の弟の4人とされるが公式発表ではない
  • 弟は銀行員として働いているとされる
  • 本名は立川義将で、生年月日は1989年5月17日
  • 学習院中等科から大学まで進み、大学在籍中にものまね活動を開始した
  • 志村けんのものまねを本格的に始めたのは2020年の逝去がきっかけ
  • 太田プロ所属後も会社員とものまねの二足のわらじを続けている

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