大分トリニータへの加入内定が発表された筑波大学の徳永涼さん。
お父さんはどんな人なのか気になって検索すると、「父の訃報」という記事が出てきて驚いた方もいるのではないでしょうか。
実はその記事は別の選手の話で、徳永涼さんのお父さんについては本人のインタビューに意外な言葉が残っていました。
・徳永涼さんの父の名前や職業が公表されているか
・検索で出る「父の訃報」の記事が誰の話なのか
・父の教えが高卒プロか大学進学かの決断にどう生きたか
徳永涼の父はどんな人?名前や職業と親子のエピソード
徳永涼さんのお父さんについて、公表されていることと、本人の言葉から見えてくる親子の関係をまとめました。
父の名前や職業は公表されていない
まず結論から言うと、徳永涼さんのお父さんの名前や職業、年齢は公表されていません。
大分トリニータの加入内定のお知らせ(2026年9月22日)、筑波大学体育スポーツ局のお知らせ、FOOTBALL ZONEやNumber Web、ゲキサカなどのインタビュー記事を確認しましたが、お父さんの名前や仕事に触れたものは見当たりませんでした。
徳永涼さん本人はプロ入り前の大学生で、ご家族は一般の方です。
元プロ選手や指導者といった「サッカー一家」だという話も、確認できた範囲では出ていません。
気になる方も多いと思いますが、ここは無理に探らず、本人が語ったお父さんの話から人物像を見ていくのがいいかなと思います。
内定コメントで家族への感謝を伝えている
筑波大学のお知らせに載った本人コメントでは、最初に「私を支えてくれた家族、友人」への感謝が書かれています。
監督や指導者、中西哲生さんの名前より先に家族が出てくるあたり、家族の支えを大きく感じてきたことが伝わりますよね。
父から教わったメリット、デメリットの考え方
お父さんの人物像が見えるのが、2023年1月にNumber Webが掲載したインタビューです。
徳永涼さんは、昔から父親に「何事にもメリット、デメリットがある」と教えられてきたと紹介されています。
自分が置かれた状況を客観的に見て、きちんと分析する。
そのうえで目標を決め、どんな志で進むかを考える。
記事によると、この習慣は小さい頃から身についていたそうです。
| 父の教え | 徳永涼さんの行動 |
|---|---|
| 何事にもメリット、デメリットがある | 進路を決めるときに両方を整理した |
| 状況を客観的に見る | 自分の課題(得点力・アシスト数)を冷静に分析した |
| 目標と志を持って進む | 「4年後に即戦力としてJ1で活躍する」と目標を設定した |
1mmのインタビューでも、徳永涼さんは「自分は理論的に物事を進めるタイプだった」と話しています。
……お父さんの教えが、そのままプレーの考え方にもつながっている感じがして、なんだかいいですよね。
お父さんは、物事を冷静に比べて決める考え方を、息子に小さい頃から伝えてきた人だと言えそうです。
父の教えが生きた高卒プロか筑波大かの決断
お父さんの教えがいちばんはっきり表れたのが、高校3年生での進路選びです。
前橋育英高校のキャプテンだった徳永涼さんには、Jリーグのクラブから声がかかっていました。
オファーの数は、FOOTBALL ZONEでは「Jリーグの2クラブから正式オファー」、Number Webでは「J2の3クラブから熱烈なオファー」と、媒体によって書き方が違います。
それでも徳永涼さんは筑波大学への進学を選びました。
メリットとデメリットを並べて考えた
Number Webのインタビューで、徳永涼さんは「それぞれのメリット、デメリットを整理しました」と話しています。
| メリット | デメリット | |
|---|---|---|
| 高卒でプロ | すぐ活躍できれば日本代表や海外移籍が早まる | 怪我や契約が早く終わったときに自分に残るものがない |
| 筑波大へ進学 | サッカーを多角的に学べる、自分と向き合える時間が増える | プロのスタートが4年遅れる |
さらに、ボランチとして得点やアシストの数がまだ課題で、「“違い”を持っていない状態ではJリーグで即戦力にならない」とも考えたそうです。
「サッカー選手としてだけで成功するのではなく、人生で成功することを優先して考える」という言葉は、18歳とは思えない落ち着きですよね。
正直、これには驚きました。
4年後、大分トリニータへ
そして2026年9月22日、筑波大学4年の徳永涼さんは、2027シーズンから大分トリニータに加入することが発表されました。
決断の前には大分の練習に2度参加し、別のJ2クラブの話も聞いたうえで、2026年9月4日に最終的に決めたとFOOTBALL ZONEは伝えています。
高校のときと同じように、選択肢を並べてじっくり比べてから決める姿勢は、大学4年での決断でも変わっていません。
前橋育英と寮生活を自分で選んだ理由
中学時代、徳永涼さんは柏レイソルU-15でプレーしていました。
そのままU-18に上がる道もありましたが、選んだのは群馬県の前橋育英高校でした。
Number Webのインタビューでは、理由を次のように話しています。
U-12から6年間見てもらったレイソルでは、仲間もスタッフも自分のことをよく知っている。
だからこそ「一からフラットに評価される環境で揉まれたかったし、寮で自立した生活を送りたい」と考えたそうです。
Football Tribeも、前橋育英への進学は本人が自ら希望したものだと伝えています。
中学3年生で親元を離れて寮に入る道を自分で選ぶのは、なかなかできることではないですよね。
ここでも「昇格するか、外に出るか」を比べて決めていて、お父さんから教わった考え方がすでに身についていたことが分かります。
検索で出る父の訃報の記事は後輩選手の話
「徳永涼 父」で検索すると、FOOTBALL ZONEの「予選中に届いた訃報…」という2025年3月の記事が上のほうに出てきます。
タイトルだけ見ると、徳永涼さんのお父さんが亡くなったのかと驚く方もいるかもしれません。
でも、記事を開いて確認すると、お父さんを亡くしたのは前橋育英の後輩選手です。
徳永涼さんは、その後輩が前橋育英に入ったきっかけの1つであり、憧れの先輩として名前が出ているだけでした。
Yahoo!検索の「他の人はこちらも質問」にも、その後輩選手の父親についての質問が並んでいて、検索結果が混ざっていることが分かります。
徳永涼さんのお父さんが亡くなったという報道は、確認できた範囲ではありません。
中西哲生を「お父さん的な存在」と語る理由
もう1人、徳永涼さんが「お父さん」という言葉を使って話した人がいます。
それが、元サッカー選手で解説者の中西哲生さんです。
2人が出会ったのは、前橋育英高校2年生の夏でした。
元フットサル日本代表の岩本昌樹さんの紹介で、中西さんのトレーニングを受けるようになったそうです。
高校時代は寮生活だったので、対面で教わる機会は年末や夏のオフなど年に2回ほど。
それでも教わったメニューを家や学校の休み時間にまで続けたと1mmのインタビューで話しています。
その後、筑波大学に進むと、中西さんが蹴球部のテクニカルアドバイザーに就任していて再会。
徳永涼さんは中西さんについて、「僕にとって、哲生さんはお父さん的な存在というか。身近にいてなんでも相談できる相手」と語っています。
筑波大学のお知らせの内定コメントでも、家族や監督と並んで「中西哲生さん」と名前を挙げて感謝を伝えていました。
本当のお父さんとは別に、サッカーの面で父親のように頼れる存在が中西さんだということですね。
弟の徳永悠も兄と同じ前橋育英へ
徳永涼さんには、弟の徳永悠さんがいます。
ゲキサカの2023年9月の記事によると、徳永悠さんは千葉U-15から、兄と同じ前橋育英高校に進みました。
当時は1年生で、ボランチとしてプレーしていたそうです。
前橋育英を選んだ理由について、徳永悠さんは「兄の影響もある」としたうえで、山田耕介監督のもとで寮生活をして、自立して人として成長したかったと話しています。
| 徳永涼さん(兄) | 徳永悠さん(弟) | |
|---|---|---|
| 中学時代 | 柏レイソルU-15 | 千葉U-15 |
| 高校 | 前橋育英高校 | 前橋育英高校 |
| ポジション | ボランチ | ボランチ(2023年9月時点) |
「徳永涼の弟」と言われるのは覚悟のうえで、それをモチベーションにしたいと話していた徳永悠さん。
そんな弟に、兄は「頑張れ」と背中を押したそうです。
……兄弟そろって寮生活を選ぶあたり、家族の中で「自分で決めて自立する」ことが大事にされてきたのかなと感じます。
徳永涼の父を調べる人向けの関連情報
ここからは、徳永涼さんのお父さんを調べる人がよく一緒に検索している、進路やプロ入り、中学校・小学校時代の情報をまとめます。
進路は大分トリニータへの加入内定
徳永涼さんの進路は、2027シーズン(2027年1月)からの大分トリニータ加入です。
2026年9月22日に、大分トリニータと筑波大学の両方から発表されました。
| 項目 | 内容(2026年9月の発表時点) |
|---|---|
| 名前 | 徳永涼(とくなが りょう) |
| 生年月日 | 2004年6月26日 |
| 身長/体重 | 177cm/72kg |
| ポジション | MF(ボランチ) |
| 経歴 | 柏レイソルU-12→柏レイソルU-15→前橋育英高校→筑波大学(在学中) |
| 主な代表歴 | 2022年U-18日本代表、2023年日本高校選抜、2023年U-19日本代表 |
大分トリニータは特徴を「1対1の守備力、強さを持つMF。奪った後の展開力、攻撃参加でチャンスを作る選手」と紹介しています。
出身地は発表元によって違う
出身地は、大分トリニータの発表では千葉県、筑波大学体育スポーツ局の内定のお知らせでは埼玉県と書かれていて、表記が分かれています。
筑波大学の部員紹介ページでは千葉県となっていました。
2027年からはJ2の大分トリニータで、プロとしてのキャリアが始まる予定です。
プロ入りを決めた大分の正式オファー
大分からのオファーは、本人にとってかなり突然だったそうです。
2025年11月、関東大学リーグ1部の最終節の翌日、大分の関係者が筑波大学を訪れました。
徳永涼さんは、同じ4年生の山崎太新さんとの契約のために来ると聞いていたそうです。
ところが、小井土正亮監督のゼミの授業中に「トリニータさんがお前にも話があるらしいから午後に研究室に来てくれ」と声をかけられ、その場で正式オファーを受けました。
「正直、予想外すぎてびっくりしました」と本人も話しています。
即答せずに比べてから決めた
ちょうど別のJ2クラブからもオファーがあったため、徳永涼さんは「もう少し他のクラブの話を聞いてみたいです」と正直に伝えました。
大分は決断を急かさず、考える時間をくれたそうです。
| 時期 | 出来事 |
|---|---|
| 2025年11月 | 大分から正式オファー |
| 2026年2月 | 大分の練習に初参加(約1週間) |
| 2026年7月 | 2度目の練習参加、練習試合に2試合出場 |
| 2026年8月 | 全日本大学選抜のイタリア遠征 |
| 2026年9月4日 | 大分への加入を決断 |
| 2026年9月22日 | 加入内定を発表 |
決め手は「必要と思ってくれている熱意、誠実さ」だったとFOOTBALL ZONEに語っています。
四方田修平監督から「自分のキャリアをスタートさせるクラブを自分で決めることが一番大事だよ」と言われたことも心に残ったそうです。
なんか、じんわりしますよね。
中学校は柏レイソルU-15で過ごした
徳永涼さんの中学時代のチームは、柏レイソルU-15です。
通っていた中学校の名前は公表されていません。
Number Webのインタビューでは、柏U-18で高校1年生から試合に出ていた古賀太陽選手や、3学年上の細谷真大選手を間近で見ていたと話しています。
U-15の先輩で筑波大学に進んだ戸田伊吹さんや田村蒼生さんには、大学進学を決める前に相談もしていました。
中学時代のつながりが、のちの筑波大学進学にもつながっていたわけですね。
小学校時代は柏レイソルU-12でプレー
小学生のときは、柏レイソルU-12に所属していました。
こちらも小学校の名前は公表されていません。
筑波大学の部員紹介では、本人が「幼稚園の頃からサッカー漬けの人生です」と書いています。
U-12からU-15までの6年間を柏レイソルで過ごしたことになります。
前橋育英と筑波大で担ったキャプテン
徳永涼さんといえば、キャプテンのイメージが強い選手です。
前橋育英高校では2年生でエースナンバーの14番を任され、3年生でキャプテンに。
2022年のインターハイで優勝しました。
ただ、優勝後にチームの緩みを厳しく指摘して孤立した時期もあったと、Number Webは伝えています。
そこで3年生全員を集めたミーティングを開き、試合に出ていない仲間の本音を共有して、チームを立て直しました。
その後も日本高校選抜、U-18日本代表でキャプテンを務め、2026年は筑波大学蹴球部の主将になっています。
部のブログでは「三冠を獲ります」と宣言していました。
チームを冷静に見て、言うべきことを言うキャプテン像も、物事を客観的に見る家庭の教えと重なって見えます。
徳永涼の父のまとめ
- 徳永涼の父の名前・職業・年齢は公表されていない
- 父は一般の方で、サッカー一家という情報は確認できない
- 昔から父に「何事にもメリット、デメリットがある」と教えられてきた
- 状況を客観的に見て分析する習慣は小さい頃から身についていた
- 高卒プロと筑波大進学のメリット・デメリットを整理して進学を選んだ
- 「人生で成功することを優先」して大学進学を決めた
- 柏U-18昇格ではなく、寮生活のできる前橋育英を自ら選んだ
- 「父の訃報」の記事は前橋育英の後輩選手の話で、徳永涼の父の話ではない
- 徳永涼の父が亡くなったという報道は確認できない
- 中西哲生を「お父さん的な存在」と語っている
- 弟・徳永悠も兄と同じ前橋育英へ進学した
- 内定コメントで最初に家族への感謝を伝えている
- 2027シーズンから大分トリニータへの加入が内定している
- 大分の正式オファーにも即答せず、練習参加を経て2026年9月4日に決断した
- 出身地は発表元によって千葉県と埼玉県で表記が分かれている

