衆議院議長を務め、当選15回を重ねてきた額賀福志郎さん。
茨城2区で40年以上議席を守り続けている人ですが、「二世議員なのでは」と思われることが多いようです。
ところが家系図をたどると、父は国会議員ではありません。それでも額賀さんが政界に入れたのには、血縁とは別のつながりがありました。
・額賀福志郎の家系図を、父・母・妻・娘まで一枚で整理した全体像
・父・額賀万寿夫がどんな人物で、なぜ「世襲」と言われるのか
・妻の三絵子が本に書き残した、3歳で亡くなった長女のこと
額賀福志郎の家系図|父は村議会議員、国会議員は本人が初めて
まず結論からお伝えします。
額賀家から国会議員になったのは、額賀福志郎さん本人が初めてです。
父の額賀万寿夫さんは村議会議員・町議会議員で、国政には出ていません。
ただ、その父の人脈が息子を国会へ押し上げたという意味では、まったくの無関係でもないんですね。
額賀福志郎の家系図を一枚で整理すると
公開されている情報をもとに血縁関係を整理すると、次のようになります。
| 続柄 | 名前 | 肩書き・情報 |
|---|---|---|
| 父 | 額賀万寿夫 | 小高村議会議員・麻生町議会議員。森林組合長 |
| 母 | 非公表 | 立正佼成会の信徒 |
| 本人 | 額賀福志郎 | 衆議院議員。第79代衆議院議長 |
| 妻 | 額賀三絵子 | 著書『永遠の日』がある |
| 長女 | 額賀利枝 | 幼くして死去 |
| 次女 | 非公表 | 一般人 |
| 三女 | 非公表 | 一般人 |
子どもは娘が3人で、息子はいません。
政治家一族というより、地方の名士の家から一人だけ国政へ出た、という形の家系図です。
父・額賀万寿夫は小高村と麻生町の議員だった
家系図の出発点になるのが、父の額賀万寿夫(ぬかが ますお)さんです。
万寿夫さんは茨城県行方郡小高村の村議会議員を務め、合併後は麻生町の町議会議員になった人物です。
あわせて地元の森林組合長も務めていました。
村議・町議と森林組合長を兼ねるというのは、その土地の顔役だったということですね。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 額賀万寿夫 |
| 公職 | 小高村議会議員、麻生町議会議員 |
| 役職 | 森林組合長 |
| 政治的立場 | 橋本登美三郎の後援会「西湖会」幹部 |
生年や没年、家業の詳細までは公表されていません。
ただ、この「西湖会の幹部」という肩書きが、あとで息子の人生を大きく動かすことになります。
母は立正佼成会の信徒、高校選びは母の希望だった
母親については名前が公表されていませんが、その信仰が息子の進路を決めています。
額賀福志郎さんの母は立正佼成会の信徒で、佼成学園高等学校への進学は母の希望だったとされています。
佼成学園は立正佼成会が設立した学校です。
茨城の村から東京の学校へ進んだわけですから、当時としてはかなり思い切った進学だったはずですね。
父が地元の地盤を、母が東京へ出る道筋をつくったという見方もできます。
この高校進学がなければ、早稲田大学も、産経新聞も、その後の政界入りもなかったかもしれません。
妻・額賀三絵子は『永遠の日』の著者
妻についても、名前と著作が知られています。
額賀福志郎さんの妻は、額賀三絵子(みえこ)さんです。
三絵子さんは『永遠の日』という本を書いています。
この本のなかで、亡くなった娘さんのことを綴っているとされています。
政治家の妻というと後援会の集まりに顔を出す姿が思い浮かびますが、三絵子さんは自分の言葉で家族の出来事を残した人なんですね。
出身や馴れ初め、生年については公表されていません。
娘は3人、長女の額賀利枝は3年3か月で亡くなった
額賀家でもっとも重い出来事が、長女のことです。
額賀福志郎さんと三絵子さんの間には娘が3人いますが、長女の額賀利枝(りえ)さんは幼いころに交通事故で亡くなっています。
その生涯は3年3か月だったと伝えられています。
額賀さんが初当選したのは1983年ですから、政界に入るよりも前の出来事です。
まだ新聞記者だったころに、3歳の娘を事故で失っているということになります。
妻の三絵子さんが本を書いたのも、この娘のことを残しておきたかったからでしょう。
次女と三女については一般の方のため、名前も職業も公表されていません。
実家は茨城県行方郡小高村(現・行方市小高)
額賀家のルーツは、霞ヶ浦と北浦にはさまれた土地にあります。
額賀福志郎さんは1944年1月11日、茨城県行方郡小高村(現在の行方市小高)で生まれました。
小高村はのちに麻生町となり、さらに合併して現在は行方市の一部です。
父が村議から町議になったのは、この合併があったからですね。
「額賀」という姓は茨城県に多い名字で、この地域に根を張った一族だったことがうかがえます。
本人の選挙区も、いまだにこの土地を含む茨城2区のままです。
額賀福志郎は世襲議員なのか|家系図に出てこない「もう一人の父」
ここからは、家系図だけでは説明がつかない部分を見ていきます。
父が村議どまりなのに、なぜ息子は初挑戦で国会に出られたのか。答えは血縁の外にありました。
地盤を継いだ相手は橋本登美三郎だった
額賀さんの政治的な出発点は、父ではありません。
額賀福志郎さんが引き継いだのは、前回の選挙で落選していた橋本登美三郎の地盤でした。
橋本登美三郎は茨城選出の大物議員で、官房長官や自民党幹事長を務めた人物です。
ロッキード事件で有罪判決を受け、選挙で議席を失っていました。
その空いた地盤に、額賀さんが入ったわけですね。
血のつながりではなく、地盤のつながりで議席が受け継がれた形です。
父が「西湖会」幹部だったことが決め手になった
では、なぜ額賀さんが選ばれたのか。ここで父の名前が効いてきます。
父・額賀万寿夫さんは、橋本登美三郎の後援会「西湖会」の幹部でした。
つまり額賀家は、もともと橋本陣営の中核にいた家なんです。
1983年の衆院選に出馬したとき、額賀さんは橋本登美三郎の支援を受けています。
父が長年支えてきた後援会が、そのまま息子の後援会になったということですね。
議席そのものは世襲ではないが、支持基盤は親子で引き継がれている。
「世襲議員なのか」という問いに一言で答えにくいのは、このためです。
産経新聞の記者から政界へ
政界入りの前に、額賀さんには12年ほどの記者生活があります。
早稲田大学第一政治経済学部を1968年に卒業したあと、産業経済新聞社(産経新聞)に入社しました。
配属は静岡支社、本社経済部、政治部と移っています。
| 時期 | できごと |
|---|---|
| 1944年1月11日 | 茨城県行方郡小高村に生まれる |
| — | 佼成学園高等学校を卒業 |
| 1968年 | 早稲田大学第一政治経済学部 経済学科を卒業 |
| 1968年 | 産業経済新聞社に入社 |
| 1983年 | 旧茨城1区から出馬し初当選 |
| 2023年10月20日 | 第79代衆議院議長に就任 |
政治部では三木武夫や田中派(木曜クラブ)の番記者を務めました。
番記者として政治家の懐に入る仕事を10年以上続けたことが、そのまま人脈になったわけですね。
早稲田では雄弁会に所属しており、学生時代から政治への志向はあったようです。
衆議院議長に上りつめた一代の歩み
家系図の頂点にいるのは、やはり本人です。
額賀福志郎さんは2023年10月20日、第79代衆議院議長に選出されました。
衆議院議長は三権の長のひとつで、国会議員が就く役職としては最上位にあたります。
それまでにも防衛庁長官、経済財政政策担当大臣、財務大臣などを歴任してきました。
2024年の総選挙で14期目の当選を果たしたあと、11月に議長へ再選されています。
2026年2月の総選挙でも当選し、当選回数は15回になりました。
村議会議員の父から始まった家系図が、一代で三権の長にまで届いたことになります。
家系図の次の代は、まだ描かれていない
気になるのは、この先です。
額賀福志郎さんに息子はおらず、後継者となる親族の名前も公表されていません。
娘さん2人はいずれも一般の方で、政界には出ていないとされています。
父から息子へ、という形の世襲は起きていませんし、次の代へ議席が渡る話も表には出ていないんですね。
額賀家の政治家としての家系図は、いまのところ本人の一代で完結する形になっています。
茨城2区の地盤が次に誰へ渡るのかは、まだ誰にも見えていません。
額賀福志郎の家系図についてのまとめ
- 額賀家から国会議員になったのは額賀福志郎本人が初めてで、直接的な世襲ではない
- 父の額賀万寿夫は茨城県小高村の村議会議員、合併後は麻生町の町議会議員を務めた
- 万寿夫は地元の森林組合長も兼ねており、その土地の顔役だった
- 母は立正佼成会の信徒で、佼成学園高等学校への進学は母の希望だったとされる
- 妻は額賀三絵子で、『永遠の日』という著書がある
- 子どもは娘が3人で、息子はいない
- 長女の額賀利枝は幼いころに交通事故で亡くなり、生涯は3年3か月だった
- 次女・三女は一般人のため氏名も職業も公表されていない
- 出身地は茨城県行方郡小高村で、現在の行方市小高にあたる
- 額賀が引き継いだのは父の地盤ではなく、落選していた橋本登美三郎の地盤だった
- 父・万寿夫が橋本の後援会「西湖会」の幹部だったため、後援会ごと支援を受けられた
- 早稲田大学第一政治経済学部を卒業後、産業経済新聞社に入社し記者を務めた
- 政治部では三木武夫や木曜クラブの番記者を担当し、そこで政界の人脈を築いた
- 1983年に旧茨城1区から出馬して初当選した
- 2023年10月20日に第79代衆議院議長へ就任し、2024年11月に再選された
- 2026年2月の総選挙でも当選し、当選回数は15回になった
- 後継者となる親族は公表されておらず、家系図の次の代はまだ描かれていない

