映画『見はらし世代』でカンヌ国際映画祭の監督週間に選ばれた団塚唯我さんについて、父親はどんな人なのかが気になっている方は多いのではないでしょうか。
実は団塚さん自身、父の仕事をほとんど聞かないまま育ち、映画をつくると決めてから調べ直したと語っているんです。
この記事では、父親の職業や公表されている範囲、同姓のランドスケープデザイナーとの関係まで、分かっていることと分かっていないことを分けて整理していきます。
・団塚唯我の父親の職業と、公表されている情報の範囲
・同姓のランドスケープデザイナー・団塚栄喜との関係がどこまで確認できるのか
・父の仕事を映画『見はらし世代』の設定に取り入れた経緯
団塚唯我の父親の職業と親子の距離
団塚唯我さんの父親については、本人がインタビューで少しだけ語っています。
ここでは分かっていることと、分かっていないことをきっちり分けて整理していきますね。
父親の職業はランドスケープデザイナー
まず結論からいきます。
団塚唯我さんの父親は、ランドスケープデザイナーとして働いている方です。
これは団塚さん本人が、長編デビュー作『見はらし世代』についてのインタビューで語った内容です。
ランドスケープデザイナーというのは、公園や広場、商業施設の屋上緑化など、建物の外側にある風景そのものを設計する仕事のこと。
建築家が建物を設計するのに対して、その建物が置かれる土地や周囲の空間をデザインする役割だと考えると分かりやすいかなと思います。
別のメディアの取材では、父親の仕事を建築関連の仕事という言い方で紹介しているものもありました。
表現に幅はありますが、父親が建築・景観の領域で仕事をしている人物であることは、複数の取材で共通して語られています。
ここ、けっこう大事なポイントなんですよ。
というのも、団塚さんの映画『見はらし世代』に出てくる父親も、まさにランドスケープデザイナーという設定だからです。
つまり読者の多くは、映画の中の父親像を見て、これって監督のお父さんのことなんじゃないの?と気になって検索している、という構図になっているわけですね。
ランドスケープデザイナーという仕事の中身
ランドスケープデザインの仕事は、いわゆる造園よりもずっと範囲が広いものです。
再開発が進むエリアで、どこに木を植え、どこに人が座れる場所を作り、街全体をどう見せるかまでを設計します。
近年の東京では大規模再開発が続いているので、この仕事に関わる人は街の変化を最前線で見ていることになります。
団塚さんが変わっていく東京と家族を重ねて映画を作った背景には、この仕事の存在が確実に効いているんだろうなと感じます。
父親の名前や顔写真は公表されていない
ここは正直に書いておきます。
団塚唯我さんの父親について、氏名・年齢・顔写真・勤務先といった個人が特定できる情報は、どこにも公表されていません。
配給会社の公式プロフィール、映画情報サイト、各メディアのインタビュー記事をひととおり確認しましたが、名前が出ている記事は見つかりませんでした。
団塚さん本人も、インタビューで語っているのは父の仕事の分野までで、それ以上は踏み込んでいません。
映画監督や俳優の家族であっても、本人が公表していない以上は一般の方と同じ扱いになります。
なので当ブログでも、氏名や住所につながるような書き方はしません。
ここは読者の方も、なんとなく察していただけるとうれしいです。
現時点で確実に言えるのは、父親が建築・景観の分野で働いているという一点だけ、というのが実態です。
団塚栄喜との父子関係は確認できない
検索している方が一番気になっているのは、たぶんここじゃないでしょうか。
団塚唯我さんの父親を調べると、検索結果の脇に団塚栄喜さんという名前が並んで表示されます。
しかも団塚栄喜さんの息子や妻を調べるワードまで一緒に出てくるので、関係があるのかなと思いますよね。
団塚栄喜さんは1963年生まれ、大分県佐伯市大入島の出身で、アースケイプという設計事務所を1999年に設立したランドスケープデザイナーです。
自らを風景司と名乗り、晴海トリトンスクエアやラゾーナ川崎プラザ、西武池袋本店の屋上庭園など、誰もが知る場所の風景を手がけてきた方です。
苗字が団塚という珍しい姓であること、そして職業がランドスケープデザイナーであることが、団塚唯我さんの語った父親像と重なります。
そのため、個人ブログなどでは父子ではないかと書かれているものもあります。
ただ、ここは慎重にいきたいところです。
団塚唯我さんと団塚栄喜さんが親子であると明言した公式発表・本人発言・大手メディアの報道は、確認できませんでした。
団塚栄喜さんのWikipediaにも、子どもについての記載はありません。
映画『見はらし世代』のクレジットに監修として名前が挙がっているという情報も、見当たりませんでした。
つまり現状は、同じ苗字で同じ職業の人がいる、という状態までで止まっているんですね。
こういうときに勢いで断定してしまうと、後で全然違ったということが普通に起こります。
なので当記事では、公表されるまでは推測の段階として扱っておきます。
なぜ2人の名前が並んで検索されるのか
検索エンジンは、同じ苗字・同じ分野の人物を関連情報として並べる傾向があります。
団塚という姓はかなり珍しく、しかも両者が同じランドスケープの世界にいるため、機械的に結び付けられやすい条件がそろっています。
読者側も親子だろうと考えて検索するので、そのワードがさらに検索候補として育っていく、という循環が起きているわけですね。
映画を作るまで父の仕事を聞いてこなかった
個人的に、この話がいちばん面白いなと思いました。
団塚唯我さんはインタビューで、もともと父の仕事について聞いてまわった経験はほとんどなく、映画をつくるにあたってリサーチし始めたという趣旨のことを語っています。
父親がその仕事をしているのに、中身は知らなかった。
そして映画の題材にすると決めてから、あらためて調べ直したというわけです。
……なんか、分かる気がしませんか。
親の仕事って、家にいる限りはそういうものだで通り過ぎてしまうんですよね。
肩書きは知っていても、具体的に何をしていて、どんな判断をしていて、どこにやりがいがあるのかまでは、意外と知らないままだったりします。
団塚さんの場合、それを知るきっかけが自分の作品を作ることだったところが、映画監督らしいなと思います。
父の職業を主人公の父親の設定に据えたのは、身近だったからではなく、むしろ遠かったからだと読み取れます。
映画の中で描かれる父子の距離感は、この知らなかったという出発点から生まれているのかもしれません。
見はらし世代の父・初に重ねたもの
団塚唯我さんの長編デビュー作『見はらし世代 -BRAND NEW LANDSCAPE-』は、2025年公開の作品です。
物語の主人公は、胡蝶蘭の配送ドライバーとして東京の街を走る高野蓮。
その父・初は、国際的に活躍するランドスケープデザイナーという設定で、遠藤憲一さんが演じています。
姉の恵美役は木竜麻生さん、主演の蓮役は黒崎煌代さんが務めました。
物語の中で父・初は、10年前に仕事を優先して家族のもとを離れています。
そして7年ぶりに帰国したところから話が動き出す、という構成です。
弟の蓮は家族の再会を望むけれど、姉の恵美は冷たく拒む。
この温度差が作品の軸になっています。
ここで気をつけたいのは、この設定はあくまでオリジナル脚本のフィクションであって、団塚さん自身の家庭の出来事をそのまま描いたものではないということです。
団塚さんが語っているのは、家族をモチーフにしたということと、父の仕事をリサーチして設定に取り入れたという部分まで。
家族が離れて暮らしていたとか、疎遠だったといった話は、一切公表されていません。
映画の父親像をそのまま監督本人の家庭に当てはめてしまうのは、さすがに行き過ぎかなと思います。
街の変化と家族の変化を重ねた構造
団塚さんは、東京という街に対する違和感と、家族に対する違和感が重なったときに脚本が進んだと語っています。
再開発で風景が変わっていく街と、いつのまにか形が変わっていく家族。
その2つを重ねて撮ったのが『見はらし世代』という作品です。
親世代がつくった街を、いまの子どもたちが生活していく。
その抗いようのなさがテーマになっている、という説明もされています。
一生埋まらない溝という家族観
団塚唯我さんの家族観がよく表れているのが、父子の会話シーンについて語った言葉です。
団塚さんは、会話では埋まらない溝や、初という人物の理解されなさを表す必要があったという趣旨の話をしています。
そして一生埋まらない溝というものもあると感じているとも語っています。
……これ、けっこう重い言葉ですよね。
家族の話って、最後は分かり合ってハッピーエンドという作りになりがちです。
でも団塚さんは、そこに行かないことを選んでいる。
分かり合えないまま、それでもなんとなく折り合いをつけて生きていく。
そういう関係のほうが、実際の家族には多いのかもしれません。
団塚さんはカンヌでの反応から、言葉にしないまま人間関係が解消に近づいたり、折り合いをつけたりすることは、すごく日本的なことなのかもしれないという気づきを得たとも語っています。
海外の観客に見せて初めて、自分が当たり前だと思っていた感覚が特殊だと分かる。
この、言葉にしないで折り合いをつけるという感覚こそが、団塚作品の父子関係を支えている芯だといえます。
母と姉について分かっていること
父親以外の家族についても、少しだけ情報があります。
団塚唯我さんには母親と姉がいることが、インタビューから分かっています。
団塚さんは、母と姉がドラマ好きだった影響で、自分もドラマをよく観ていたと語っています。
映画に本格的に触れたのは大学に入ってからですが、映像そのものは家庭の中で自然に流れていた、ということですね。
なんというか、いい家庭の風景だなと思いました。
ただし、母親や姉についても氏名・年齢・職業といった具体的な情報は公表されていません。
一般の方なので、当然といえば当然です。
なお、映画『見はらし世代』では母・由美子がすでに亡くなっている設定になっていますが、これも作品上の設定であって、団塚さんの実際のご家族の状況を示すものではありません。
ここは混同しやすいところなので、あらためて書いておきますね。
団塚唯我の父親を調べる人向けの関連情報
父親のことを調べていると、団塚唯我さん本人についても気になってきますよね。
ここからは、あわせて検索されているワードを中心にまとめていきます。
読み方はだんづかゆいが
まずは名前の読み方から。
団塚唯我と書いて、だんづか ゆいがと読みます。
唯我をゆいがと読ませるのは、なかなか珍しいですよね。
苗字の団塚も全国的にかなり少ない姓なので、初見で正しく読める人はほとんどいないかなと思います。
配給元の公式表記や映画祭のリリースでも、ふりがなが添えられていることが多い名前です。
海外向けの表記はYuiga DANZUKAで、サイトによってはDANDUKAと綴られているものもあります。
1998年東京都生まれのプロフィール
団塚唯我さんの基本情報を表にまとめます。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 団塚唯我(だんづか ゆいが) |
| 生年 | 1998年 |
| 出身 | 東京都 |
| 学歴 | 慶應義塾大学環境情報学部 中退/映画美学校 修了 |
| 師事 | 万田邦敏、宇治田隆史 |
| 職業 | 映画監督・脚本家 |
| 監督作 | 『愛をたむけるよ』『遠くへいきたいわ』(2022)『見はらし世代』(2025) |
1998年に東京で生まれ、20代のうちにカンヌ国際映画祭の監督週間へ選出されたという、かなり異例の経歴の持ち主です。
東京生まれ・東京育ちであることは、『見はらし世代』が東京の街の変化を扱っていることと直結しています。
自分が育った街が別のものに置き換わっていく感覚は、その街で育った人にしか撮れないものかもしれませんね。
高校まで12年間続けた野球
意外に思う方が多いのが、ここです。
団塚唯我さんは、高校まで12年間、野球をやっていたと語っています。
12年ということは、小学校に上がるかどうかの頃から高校卒業まで、ずっと続けていた計算になります。
え、映画の人じゃなかったの?って感じですよね。
映画に本格的に興味を持ったのは大学に入ってからなので、人生の前半はまるごと野球に費やしていたことになります。
つまり団塚さんは、少年期から映画を撮り続けてきたタイプの監督ではありません。
20歳前後で進路をまるごと切り替えて、そこから10年足らずでカンヌに届いた、という時間の使い方をしています。
このスピード感は、正直かなり驚きました。
慶應義塾大学を中退して映画美学校へ
団塚唯我さんは慶應義塾大学の環境情報学部、いわゆるSFCに進学しています。
転機になったのは大学1年の春休みでした。
レンタル店で映画を借りて観るようになったことをきっかけに、次第に自分でも映画をつくりたくなっていったそうです。
そして2年目からはあまり大学に通わなくなり、最終的に慶應義塾大学を中退して映画美学校へ進みます。
映画美学校では、映画監督の万田邦敏さんと、脚本家の宇治田隆史さんから指導を受けました。
慶應を辞めて映画の学校に行くという選択は、なかなかの決断です。
ご家族がどう受け止めたのかは公表されていませんが、父親が建築・景観というものづくりの分野の人だったことを思うと、まったく理解されない環境ではなかったのかもしれないな、とは感じます。
もちろんここは推測なので、そのつもりで読んでくださいね。
大学時代に受けた影響
団塚さんは大学1年のとき、バンドサークルや文化祭実行委員に所属していたことも明かしています。
さらに、2つ上の先輩から音楽や本などさまざまな文化を教えてもらったとも語っています。
映画だけをまっすぐ目指したのではなく、周囲の文化に触れるなかで自然と表現の側へ移っていった。
そんな流れが見えてきますね。
短編2作からカンヌ監督週間へ
団塚唯我さんのキャリアは、短編から始まっています。
| 時期 | 作品 | 主な評価 |
|---|---|---|
| 映画美学校 修了作品 | 『愛をたむけるよ』 | なら国際映画祭、札幌国際短編映画祭、TAMA NEW WAVE などで入選・受賞 |
| 2022年 | 『遠くへいきたいわ』(ndjc) | 第36回高崎映画祭に招待 |
| 2025年 | 『見はらし世代 -BRAND NEW LANDSCAPE-』 | 第78回カンヌ国際映画祭 監督週間に選出 |
修了作品の『愛をたむけるよ』が複数の映画祭で評価され、2022年には文化庁の若手映画作家育成プロジェクト、通称ndjcで短編『遠くへいきたいわ』を脚本・監督しています。
そして初の長編となった『見はらし世代』が、第78回カンヌ国際映画祭の監督週間に、日本人史上最年少となる26歳(当時)で選出されました。
脚本を書き始めたのは23歳のときだったといいます。
短編2本を経て、いきなり長編デビュー作でカンヌの監督週間に届いたことになります。
これ、どれくらいすごいのか伝わりにくいかもしれませんが、監督週間は世界中の新しい才能を紹介する場として知られている部門です。
そこに日本人最年少で入ったわけですから、快挙という言葉で足りるのかなというレベルです。
事故という検索候補が出る理由
検索していると、団塚唯我さんの名前に事故という語が付いた候補が出てきて、ぎょっとした方もいるかもしれません。
先に結論を書いておきますね。
団塚唯我さん本人が事故に遭ったという報道は、確認できませんでした。
このワードで実際に検索してみても、上位に出てくるのは映画関連の記事と、まったく別人の事故を報じたニュースです。
団塚さん本人に関する事故の記事は見当たりません。
検索候補というのは、同じ苗字の別人の話題や、似た読みのワードが混ざって出てくることがよくあります。
今回もそのパターンだと考えるのが自然かなと思います。
不安になった方は、ひとまず安心してもらって大丈夫です。
団塚唯我の父親のまとめ
- 団塚唯我の父親はランドスケープデザイナーとして働いている
- 別の取材では父の仕事を建築関連の仕事と紹介している
- 父親の氏名・年齢・顔写真・勤務先は公表されていない
- 同姓同業のランドスケープデザイナー・団塚栄喜の名前が並んで検索されている
- 団塚栄喜との父子関係を明言した公式発表や報道は確認できない
- 団塚栄喜は1963年生まれでアースケイプ代表、風景司を名乗る
- 団塚唯我は父の仕事をほとんど聞かずに育ち、映画制作を機にリサーチした
- 長編デビュー作『見はらし世代』の父・初はランドスケープデザイナー役で遠藤憲一が演じる
- 映画の父子の設定はオリジナル脚本であり、実際の家庭の出来事ではない
- 一生埋まらない溝もあるという家族観を本人が語っている
- 母と姉がおり、その影響でドラマをよく観ていた
- 母や姉についても具体的な個人情報は公表されていない
- 読み方はだんづかゆいがで、1998年東京都生まれ
- 高校まで12年間野球を続け、大学入学後に映画へ進路を変えた
- 慶應義塾大学環境情報学部を中退し映画美学校へ進んだ
- 『見はらし世代』が第78回カンヌ国際映画祭の監督週間に日本人史上最年少26歳で選出された
- 事故という検索候補が出るが、本人の事故を報じた記事は確認できない

