DVのある家庭、貧困、いじめ、そして25歳で「余命半年」の宣告——辻耀子さんの生い立ちには、想像を超えるほどの逆境が詰まっています。
それでも今、年間3,000人にレイキを伝えるNPO法人日本レイキ協会の理事長として輝いていられるのは、あるひとつの体験が転機になったからです。
その転機が何だったのか、ぜひ最後まで読んでみてください。
・辻耀子さんの幼少期から現在までの生い立ちと経歴
・25歳での余命宣告から奇跡の回復を遂げた大病エピソード
・父親との確執を乗り越えた「人生が変わった瞬間」の真相
辻耀子の生い立ちと波乱万丈な半生
辻耀子さんの人生は、一言で言えば「逆境を生き抜いた物語」です。
DV・貧困・いじめ・大病——数々の困難を乗り越えてきた半生を、時系列で追っていきましょう。
大阪出身・大阪芸術大学卒のプロフィール
辻耀子さんのプロフィールをざっくりまとめると、こんな感じです。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 生年 | 1968年 |
| 出身 | 大阪府 |
| 在住 | 大阪市 |
| 血液型 | AB型 |
| 婚姻歴 | 独身 |
| 学歴 | 大阪芸術大学卒 |
大阪府出身で、現在も大阪市に暮らしながら活動を続けているんですね。
大阪芸術大学は芸術系の総合大学として関西屈指の名門校。デザイン・美術・音楽・映像など多彩な学科を持ち、多くのクリエイターを輩出してきた大学です。
辻さんがどの学科を専攻していたかまでは公表されていませんが、後に心理分析の道へ進んでいることを考えると、人間への深い関心は学生時代からあったのかもしれません。
AB型・独身・肩書き一覧
現在の辻さんの肩書きは複数あります。
- NPO法人日本レイキ協会 理事長
- 一般社団法人国境なきいのちを慈しむ基金 代表理事
- 心理分析師(ありのまま.com 代表)
- レイキ師範
年間延べ3,000人の生徒にレイキを伝え、国内最大規模のレイキ教育組織を主宰しているのが、現在の辻耀子さんという人物です。
独身で活動に全力投球。「人の幸せを応援することがいきがい」と語るその言葉は、波乱の半生を経てたどり着いた境地からくるものだと感じさせます。
座右の銘は「あなたには最低限一人の人を幸せにする義務があります。それはあなた自身です」という言葉。自分を大切にすることが他者への愛の出発点だという考え方が凝縮されています。
父のDVと貧困が続いた幼少期
正直、読んでいて胸が痛くなりました。
辻さんの幼少期は、本人の言葉を借りるなら「残念な家庭環境」だったと言います。
父親が母親を殴るという、不機嫌を家庭内にまき散らすような環境で育ちました。父は仕事もうまくいかず、朝から飲んだくれることもあったといいます。家庭に安心できる場所がなかったわけです。
学校でも救われなかった。
人と話せない大人しい子どもだったため、いじめのターゲットになってしまいます。「理不尽だ」という思いが積もり積もって、気づけばやさぐれてひねくれた子どもになっていったと、辻さんは自分自身を振り返っています。
スラム街への引越し・学校でのいじめ体験
さらに追い打ちをかけるように、引越した先の地域がスラム街のような環境だったといいます。
「そういう環境に行くと、どんどん人は性格が悪くなるんですね」と辻さんは語っていますが、これは自己批判ではなく、環境が人を作るという冷静な分析でもあります。
子ども心に「人間って利用するか利用されるかなんだ」と思うようになっていった辻さん。家庭でDV・学校でいじめ・地域でスラムという三重苦の中で育ったわけです。
これだけの環境で育てば、人間不信になっても無理はない。後の辻さんの活動の原点が、この幼少期の「理不尽」な体験にあることは、ご本人も認めているところです。
17歳でゼロから起業した理由
17歳での起業というと、「夢があって!」「ビジョンを持って!」というイメージを持ちがちですが、辻さんの動機はもっとシンプルでした。
「お金がなくて」
それだけです。貧乏から脱出したい。その一心でゼロから起業したというんです。
なんか、リアルですよね。キラキラした起業物語ではなく、切実な動機から始まったところに、辻さんらしさを感じます。
20歳頃には「若き成功者」と周囲から言われるようになり、経営者として結果を出し始めます。しかしその頃の辻さんは、本人の弁によれば「かなり傲慢だった」とのこと。
「誰にも頼らないし、周りへの感謝もない。」
成功は手に入れたけれど、人との本当のつながりからは遠ざかっていた時期です。父親に対してもリベンジした気分で、見下すような関わり方をしていたと後に振り返っています。
17歳の起業から33年間、黒字経営を続けているのは事実ですが、その出発点は夢でもビジョンでもなく、「貧乏から逃げたい」という切実な現実だったんです。
25歳で余命半年の宣告を受けた大病
辻さんの人生の中で、最も大きな転機のひとつが「25歳での大病」です。
会社経営をしていたため健康診断を受ける機会がなく、病気が静かに進行していたことにまったく気づいていなかったといいます。そしてある日、医師から「手遅れ、余命半年」という宣告を受けることになります。
「理不尽だと思ったけど、もう人生がしんどすぎて、むしろ『もういいわ』って思った」
これはきつかったでしょうね…。25歳の若さで、死を”諦め”として受け入れてしまうほどに疲弊していた。そこまで辻さんを追い詰めていたものの重さが伝わってくるような言葉です。
ところが運命は違う方向に動きます。死を覚悟しながら3年間を過ごした後、奇跡的に回復を果たしたのです。
闘病中の感謝の気づき(壁紙・酸素エピソード)
闘病中、寝返りも打てないほどの状態が続いた時期がありました。
そんな中で辻さんが経験したのは、「当たり前」が当たり前ではないという気づきです。
「この部屋の壁紙、綺麗に張られているよなぁ…。熟練の人が張ってくれたのかなぁ」
ベッドの上で動けないまま、それまで意識すらしなかった壁紙に目が向いたといいます。誰かが丁寧に仕事をしてくれて、今自分はその部屋で守られている。会ったこともない人からの「愛」に気づいた瞬間です。
さらには「酸素が吸える」ことへの感謝まで感覚が広がっていき、やがて「自分は生かされて生きてきたのだ」という境地にたどり着きます。
この境地に至るまで「何年もかかった」と辻さん自身が語っており、それがどれほど深い変容だったかを示しています。
父親を許せた日、人生が変わった瞬間
辻さんにとっての本当の転機は、「病気が完治したこと」ではなく、「父親を許せたこと」だといいます。
長年、父親を本当に恨んでいたと辻さんは語っています。縁を切りたかったのに切れなかった、という複雑な感情を抱えたまま生きてきました。
大病復帰後に親から突然電話がかかってきた場面
大病からようやく復帰した直後のこと。3年間連絡のなかった親から、以心伝心のように突然電話がかかってきます。
「お金ないねんや~」
せっかく命が助かったのに、また同じ展開が始まる。辻さんはこのとき「もういやだ!!」と本気で思ったそうです。電話を切った後、悔し泣きしながら「生きててよかった、と思える人生を生きたい!」と決意したといいます。
その後、心理学を学ぶ中で「親を許す」という取り組みをしていきます。ここでの「許す」とは、どうしようもない親を無理やり許す、ということではありません。
「相手がなぜそんな人になったのかを思いやる」こと。
父親がなぜあんな人になったのか、そこに思いを向けたとき、初めて「父も手を抜いていたわけではなく、一生懸命やったけど稼げなかった。心が折れた」という理解が生まれました。
そして辻さんは気づきます。自分の心の奥底にあったのは、父への怒りだけではなかった。「お父さん、そんな生き方したら損やん!もっといい生き方ができる」という、父を応援したい気持ちが隠れていたのです。
その気持ちに気付いた瞬間、道で泣き崩れた——これが辻耀子という人を根本から変えた瞬間です。
「私の本質は、どす黒いものの塊じゃなかった。愛と応援の気持ちがあったんだ!」という発見が、今の辻さんの活動すべての原点になっています。
28歳で心理カウンセラーへ転身
父を許す体験を経て、辻さんは心理学の世界へ深く踏み込んでいきます。28歳で心理カウンセラーとなり、以来のべ2万人の相談に乗り、プロカウンセラーを700名養成してきました。
700名のプロカウンセラー養成という実績は、業界でも突出した数字です。
辻さんがカウンセリングで重視するのは「ちょっとめんどくさい人や、コミュ障、社会的に少し残念な人たちの真ん中にあるものを見つけながら関わること」。
「本質はみんな綺麗で、魂が太陽みたいに輝いているんです。でも、人生がきつかった人は、雨雲みたいなものが周りにへばりついてる」という言葉は、かつての自分自身を見てきたからこそ出てくる言葉だと感じます。
会社経営と心理カウンセラー業を掛け持ちしながら、辻さんはさらに新しいステージへと踏み出していきます。
辻耀子の生い立ちを調べる人向けの関連情報
辻耀子さんの「生い立ち」を調べると、レイキや心理学との出会い、著書の内容、受賞歴まで気になることがたくさんありますよね。ここではそれらをまとめてご紹介します。
レイキとの出会いと日本レイキ協会の設立
辻さんがレイキと出会ったのは1996年のこと。西洋式レイキを学び、その後日本伝統式の師範からも指導を受け、レイキ師範となりました。
レイキとは、日本発祥の伝統的な手当て療法です。臼井甕男によって体系化された「臼井式レイキ法」を源流とし、手のひらを通して気(エネルギー)を流すことで心身の調和を促すとされています。
実は、レイキは日本よりも海外での認知度のほうがずっと高いのをご存じでしたか?
ハーバード大学のキャンパスにレイキのヒーリングセンターが設置されていたり、米軍ペンタゴンでは軍人にレイキを学ばせていたり、イギリスでは保険適用の対象になっていたり。インドでは国家資格にまでなっています。
にもかかわらず、日本国内ではほとんど知られていない。この現状を変えたいという思いが、辻さんを協会設立へ向かわせました。
2006年にNPO法人日本レイキ協会の理事長に就任。現在では年間延べ3,000人がレイキを学ぶ、国内最大規模の組織に成長しています。
なお、辻さんの話によると、1999年頃にカレーを食べていた際に突然「スイッチがオン」になり、天使・神様・龍など見えないものが見えるようになる体験が3年間続いたといいます(※友人のブログへの語りを元にした単独情報のため、参考程度にご紹介します)。このような霊的体験もレイキへの関心を深めた背景のひとつかもしれません。
インドでの医師免許取得と無償クリニック
辻さんが40歳のとき、海外(インド)で医師免許を取得しています。
インドは先述の通りレイキが国家資格として認められている国。東洋医学や伝統療法に対する社会的な理解が、日本よりもずっと深い土壌があります。辻さんはその地で正式な医師免許を取得し、インドに無償のクリニックを設立しました。
「一般社団法人国境なきいのちを慈しむ基金」の代表理事も務める辻さんにとって、医療の届かない人々への支援は活動の重要な柱のひとつです。
知ったときびっくりしませんでしたか?17歳で起業した経営者が、40歳で医師免許を取得するというのは、なかなかイメージしにくい経歴ですよね。でも辻さんにとっては「人の幸せを応援する」という一本の軸が貫かれているのだと思います。
著書「恨んでいた父と和解できた不思議なお話」
辻さんは著書も出版しています。その中でも特に注目されるのが、「恨んでいた父と和解できた不思議なお話 ―大切な人を癒す遠隔レイキの奇跡―」です。
タイトルからすでに、辻さんの人生テーマそのものが込められていますよね。
この本は、父の死をきっかけに体験した実話がベースになっています。長期間にわたって父との困難な関係を抱えてきた辻さんが、レイキを通じてどのように心に平和をもたらし、父との関係を解決していったのかを詳細に語っています。
「死後も魂が存在し続けること」「愛や許しの力が時間や空間を超えること」を体感した記録でもあり、親子関係に悩む人や、大切な人を亡くした人に向けて書かれた一冊です。
もう一冊、「ストレス軽減!執着のメカニズムと手放しかた」という電子書籍も出版しており、「安心立命」に至る実践的な道筋を記しています。
文化褒章を受賞した活動と功績
2023年11月、辻さんは宮家より文化褒章を受賞しました。
受賞が決まった最終面接の場での辻さんのエピソードが、また印象的です。
会の最後の順番だった辻さんは、待っている間にひとつの決意をします。「自分の生い立ちや経歴を話す代わりに、日本の伝統文化・レイキについてプレゼンしてみよう」と。
記念会の会長様に向けて勇気を振り絞ってレイキについて語った結果——今年の受賞に加えて、翌年もまた別の文化褒章が授与されることに決まったというんです。さらに翌年の授賞式でレイキについてスピーチする機会まで設けてもらえることになりました。
「エゴを横へ置いて、レイキのよさを伝えたい!という一心で勇気出して話してみたら、こんな素敵な展開になった」——この言葉に辻さんの人柄がすべて詰まっている気がします。
辻さんはこの受賞を、自分個人のものとして捉えず、レイキに関わるすべての人への受賞だと語っています。
「安心立命」という辻耀子の生き方哲学
辻さんの活動を貫くキーワードのひとつが「安心立命」です。
「安心立命」とは、どんな状況にあっても心が乱れず、おのれの使命・天命を安らかに生きていける境地のこと。仏教・東洋哲学に由来する言葉ですが、辻さんはこれをレイキや心理学の実践を通じた、生きた哲学として体現しています。
「頂上はご機嫌に過ごすことです。その条件が、自分らしくあるとか、我慢しないとか、自己犠牲的人生を生きていないことです」
辻さんが語る「ご機嫌に過ごす」は、単なる「楽観主義」ではありません。自分らしさを開花させた先に自然と生まれてくる状態のことです。
その理念が象徴されているのが、協会のビジョン「かろやか、のびやか、笑顔の連鎖」という言葉。DVのある家庭で育ち、いじめにあい、余命宣告を受け、それでも自分の本質を見つけた人が描く「世界平和」の描き方は、理想論ではなくひとつひとつの体験に裏付けられています。
「生きている間に世界平和を見てみたい」というのが辻さんの現在の夢だといいます。読んでいてこちらまで温かくなりました。
辻耀子の生い立ちのまとめ
- 1968年大阪府生まれ、大阪芸術大学卒業、現在も大阪市在住
- 血液型AB型、独身でNPO法人日本レイキ協会理事長として活動中
- 幼少期は父のDV・貧困・いじめという三重苦の環境で育った
- 引越し先がスラム街のような地域で、子ども心に人間不信を形成した
- 17歳で貧乏から逃げるためにゼロから起業、以来30年以上黒字経営を継続
- 20歳頃に若き成功者と呼ばれたが、傲慢で感謝のない状態だったと本人が振り返る
- 25歳で大病を患い「手遅れ・余命半年」の宣告を受けた
- 3年間の闘病の末、奇跡的に完治を遂げた
- 闘病中に壁紙や酸素への感謝という「愛のかけら」に気づき人生観が変わる
- 大病復帰後に父親から電話がかかってきた体験が決定的な転機となった
- 心理学を学ぶ中で父親を「思いやる」ことができ、自分の中の愛と応援の気持ちを発見した
- 28歳で心理カウンセラーに転身、のべ2万人の相談を受けプロカウンセラー700名を養成
- 1996年にレイキと出会い、2006年にNPO法人日本レイキ協会の理事長に就任
- 40歳でインドの医師免許を取得し、インドに無償クリニックを設立
- 2023年に文化褒章を受賞し、日本伝統式レイキの普及に向けた活動を展開中


変な意味ではなく、これを読んで、この人をギューっと抱き締めてあげたくなった。
文章にすると素敵なエピソードも、それを乗り越える課程では地獄だっただろう。
YouTubeで見てから、あの屈託のない笑顔、真摯な姿勢が人々を惹きつけるのだろうと思っていたが、素敵な心をもつ人だなと痛感した。
レイキ…日本古来からある大切な宝物
時間を取って、ゆっくり学び、自分の仕事にも応用できないものかと思っているが…。
華々しく輝いている部分にだけ目を向けるのではなく、地道に泥臭く、活動しているレイキ関係者全ての方々の幸せを願ってやみません。 【感謝】