世界No.1フーディーとして知られる浜田岳文さんですが、その原点となった実家がどんな家だったのか、気になっている方は多いのではないでしょうか。
年間800食を食べ歩き、127カ国以上を回る生活を見ていると「実家がよほどの資産家なのでは」と思ってしまいますよね。
ところが本人はその見方を、あるインタビューできっぱり否定しているんです。
・浜田岳文さんの実家がある場所と、生まれ育った町のこと
・実家が金持ちだという説に本人が出した答え
・両親の職業と、母親から受け継いだ「好奇心」の正体
浜田岳文の実家は兵庫県宝塚市
まずは実家の場所から見ていきましょう。
浜田岳文さんの実家がある町、そして家の中の様子まで、本人が語ったエピソードをもとに詳しくたどっていきます。
生まれ育ったのは兵庫県宝塚市
浜田岳文さんは1974年に兵庫県宝塚市で生まれました。
これは食べログの本人プロフィール欄をはじめ、セゾンカードのインタビュー記事、複数のプロフィールまとめ記事で一致している情報です。
さらに本人もインタビューで「僕は兵庫県宝塚市で生まれ育った」とはっきり語っています。
つまり実家は兵庫県宝塚市にあり、少なくとも高校時代までをこの町で過ごしたということになりますね。
宝塚市は言わずと知れた宝塚歌劇団の本拠地で、大阪と神戸のどちらにも電車で30分ほどという住宅地です。
阪急沿線の閑静なエリアとして知られていて、関西では「品のいい住宅街」というイメージを持たれることが多い町でもあります。
ただし、実家の詳しい住所や町名までは公表されていません。
浜田さんは芸能事務所に所属するタレントではなく、投資・食の分野で活動する実業家という立場ですから、そこまで踏み込んだ情報が出てこないのは自然なことかなと思います。
現在の拠点は東京だが「家」らしい家は持っていない
ちなみに現在の浜田岳文さんは東京都在住とされていますが、いわゆる持ち家では暮らしていません。
家具・家電付きで清掃サービスもついたサービスアパートメントに住んでいて、しかもそこに滞在するのは1年のうち3カ月ほどだそうです。
入居のときに家具はすべて処分したと語っていて、残りの9カ月は海外と国内の地方を食べ歩いています。
実家を出てからの住まいの持ち方まで、かなり振り切った人なんですよね。
実家の食卓の壁に貼られていた世界地図
実家について、浜田岳文さん本人がもっとも具体的に語っているのが、食卓の壁に貼ってあった1枚の世界地図です。
インタビューでは、旅が好きになった最初のきっかけを聞かれてこう答えています。
「旅が好きになった最初のきっかけは実家の食卓の壁に貼ってあった世界地図」だと。
貼ったのは母親だったそうです。
幼い浜田さんは食事のたびにその地図を眺めて、「ここにはどういう人が住んで、どういう生活をしてるんだろう」と想像をふくらませていたと振り返っています。
……なんか、いいですよね、この話。
南極から北朝鮮まで127カ国を回ることになる人の出発点が、実家のごはんの時間だったというのは、ちょっと出来すぎているくらいです。
世界1位のフーディーの原点は、実家の食卓にあった1枚の地図だったということになりますね。
食への興味は実家では育っていない
意外なのは、食べ物への興味のほうは実家ではまったく育たなかったという点です。
本人は「小さい頃は特に食に興味はなかったし、母親が作るご飯を美味しいとも美味しくないとも思ったことがなくて」と語っています。
セゾンカードのインタビューでも、親が作ってくれた料理を当たり前のように食べていて、おいしさなどを考えずに過ごしていたと話していました。
食に目覚めたのはずっと後で、アメリカの大学に入って寮の食事があまりに不味かったことがきっかけです。
実家が美食一家だったから今がある、というわけではないんですね。
むしろ実家が浜田さんに手渡したのは、食ではなく「知らない世界を知りたい」という好奇心のほうだったと言えそうです。
両親の職業は料理人ではなく公務員か
ここまで食を極めた人だと、実家が飲食店だったのでは、両親が料理人だったのでは、と考える人が多いようです。
実際、ネット上には「浜田岳文の両親は料理人・料理店経営」という説が流れています。
ただ、この説を検証した個人ブログでは両親は料理人ではなく公務員だったとしています。
ここは注意が必要なところで、公務員という記述が確認できたのは今のところこの1件だけです。
大手メディアのインタビューや本人の発信では、両親の職業に触れた記述は見当たりませんでした。
ですので両親が公務員だったという情報は、公式に裏づけの取れた事実ではなく一説として受け止めておくのが正確かなと思います。
一方で、料理人説のほうははっきり否定できる材料があります。
前の項目で触れたとおり、本人が「母親が作るご飯を美味しいとも美味しくないとも思ったことがない」と語っているからです。
プロの料理人が作る家庭の食卓であれば、この語り方にはなりにくいですよね。
| 説 | 内容 | 裏づけの状況 |
|---|---|---|
| 料理人・料理店経営説 | 両親が飲食のプロだったとする説 | 本人の発言と噛み合わず、否定的 |
| 公務員説 | 両親はともに公務員だったとする説 | 個人ブログ1件のみ。裏づけは弱い |
| 資産家説 | 実家が裕福で援助を受けているとする説 | 本人が明確に否定 |
実家が金持ちという説を本人が否定
実家について、いちばんはっきりした答えが出ているのがこの話題です。
年に800食を外食し、その多くが世界のトップレストラン。
この生活を見れば、実家が資産家なんだろうと想像したくなりますよね。
ところが浜田岳文さんは、現代ビジネスの取材で自分の経済状況についてこう語っています。
「親が金持ちなわけでもなく、金融時代の貯蓄もない」と。
さらに「なけなしの貯金のほとんどを、2年間の世界一周の旅で使ってしまった」とも話しています。
金融業界に残っていた場合と比べれば収入は格段に低いとも認めたうえで、すべてのお金と時間を食と旅に全振りしている、というのが本人の説明です。
これは第三者の推測ではなく、本人が自分の言葉で語った内容です。
ですから実家が金持ちだから食べ歩けている、という見方は本人によって明確に否定されていると考えていいでしょう。
「持たない」ことで成り立っている生活
では、どうやってあの生活を維持しているのか。
答えは収入の多さではなく、支出の削り方にありました。
プレジデントオンラインの記事タイトルにもなっているとおり、浜田さんは家具を捨て、結婚も子供も車も時計も持たない選択をしています。
住まいは年に3カ月しか使わないサービスアパートメント。
そこまで削って、浮いたお金をすべて食と旅に回しているわけです。
正直、ここまで徹底できる人はなかなかいないと思います。
母親から受け継いだ好奇心と旅好き
実家の話でもう一つ外せないのが、母親の存在です。
浜田岳文さんは、自分の興味の方向が誰の影響でできたのかと問われて「もう単純に母親の影響だと思います」と即答しています。
母親は好奇心が旺盛で、知らないことを知りたいという欲求がとても強く、そのうえ旅好きだったそうです。
食卓の壁に世界地図を貼ったのも母親でした。
浜田さん自身、そこを受け継いでいる感じはある、と語っています。
熱を出した日に本を買ってきてくれた母
母親とのエピソードで印象に残るのが、保育所時代の話です。
高熱を出して保育所を休んだ日、母親がいろいろな本を買ってきてくれたのがすごく嬉しかったそうです。
それに味を占めた浜田少年は、また買ってきてくれることを期待して仮病を使って休んだこともあった、と笑って振り返っています。
……ちょっと微笑ましいですよね。
この読書好きはそのまま育っていって、小学校では友達と一緒に登下校せず、歩きながら本を読んでいたほどだったといいます。
理由は「友達と一緒だとそのぶん時間が取られるから」。
小学校高学年になると、週末は大阪の大型書店に4〜5時間こもるのが楽しみになりました。
読むのは主に政治や経済のノンフィクションで、小中学生の頃は1日1冊以上読んでいたそうです。
本人いわく、想像の世界より現実の世界に興味があったから、フィクションはあまり読まなかったとのこと。
実家で育ったのは、料理人の舌ではなく「世界を知りたい」という一貫した好奇心だったわけですね。
実家を離れて中3で一人ハワイへ
実家で育った好奇心が最初に外へ飛び出したのが、中学3年生の冬休みでした。
行き先はハワイ。
しかも一人で、1週間の滞在です。
きっかけは中学2年のときに友達に誘われて始めたスキューバダイビングでした。
ショップに出入りするうちにアルバイトの高校生と仲良くなり、お兄さん的な存在ができます。
その人に連れられて沖縄へ行ったのが楽しく、以後は休みのたびに一人でも沖縄へ通うようになりました。
泊まるのはユースホステル。
そこには自分の知らないことを知っている大人がたくさんいて、その人たちに会うのが目的になっていったそうです。
その先輩から学んだのが「やりたいことがあったら自分で動いてできるようにしよう」という考え方でした。
中学生だから車は運転できない。
それでも諦めず、ユースホステルで一緒に行きたい人を募って、自分でレンタカーを予約し、免許のある人に運転してもらえば行ける、という具合です。
この発想が身についた中3の冬、次は海外へと考えたときに実家の親の顔が浮かびます。
あまり激しい旅は親が許してくれないだろうと考えて、行き先にハワイを選んだのだそうです。
そして親に頼み込んで許可をもらい、日本語を一切使わないと決めて1週間を過ごしました。
結果は、英語がまるで通じず悔しい思いをする1週間だったといいます。
ファストフード店で注文の最後に言われた一言が聞き取れず、4回聞き直してようやく Anything else? だとわかった、というエピソードまで語られています。
中学生の一人海外を許した実家の判断が、その後の127カ国につながっていったと考えると、なかなか感慨深いものがありますね。
浜田岳文の実家を調べる人向けの関連情報
実家の話とあわせて調べられることが多いのが、学歴や経歴、結婚といったプロフィール面の情報です。
ここからは、実家を出たあとの浜田岳文さんについて、確認できている範囲でまとめていきます。
生年月日は1974年で現在は50代
浜田岳文さんは1974年生まれです。
2024年から2025年にかけての各メディアの取材では50歳と紹介されていますから、2026年時点では51歳から52歳ということになりますね。
生年月日の日付までは公表されていません。
現住所は東京都で、肩書きは株式会社アクセス・オール・エリアの代表取締役です。
なお、俳優の濱田岳さんとは名前が似ていますがまったくの別人です。
検索していると混ざって出てくることがあるので、ここは気をつけたいところですね。
学歴は関西学院からイェール大学へ
浜田岳文さんは小学校のときに中学受験をして、中高大一貫の関西学院に進学しています。
本人によれば、大学受験がないぶんゆったりしていて、自分がやりたいことにのめり込める環境だったそうです。
中学は校則がそれなりに厳しかったものの、高校に入ると完全に私服で学校行事もほとんどない自由な環境に変わったといいます。
浜田さんは中学が合わず、高校で生き生きしたタイプだったと振り返っています。
その後進学したのが、アメリカの名門イェール大学です。
専攻は政治学でした。
一部では同時にスタンフォード大学にも合格していたと伝えられていますが、こちらは1つのブログにしか記述がなく、裏づけとしては弱い情報です。
イェールでの生活はかなり過酷で、週に400〜500ページの読書と週2〜3本の論文が課され、週1回の徹夜が当たり前だったと語っています。
それでも単位を早めに取り切って、3年半で卒業を決めているのがすごいところです。
高校2年で経験したオハイオ州留学
実家を離れる最初の大きな経験が、高校2年のときの1年間の交換留学でした。
校内に貼ってあった留学のポスターを見て自分で応募したもので、行き先はアメリカ・オハイオ州のコロンバス。
留学団体が決めた場所で、本人が選んだわけではなかったそうです。
この1年について、浜田さんは「正直つらかった思い出しかない」と語っています。
当時はまだジャパンバッシングの空気が残っていた時期でした。
歴史の授業中に生徒が立ち上がって「私は日本が大嫌いです」と言われたこと、別の学校のスクールバスから生卵を投げられたこともあったといいます。
留学生が他にいない学校だったため、英語ができない=頭が悪いと見なされ、一度会話が返せないと二度と話しかけてもらえなかったそうです。
正直、読んでいて胸が痛くなる話ですよね。
それでも浜田さんは、勉強でだけは負けまいと踏ん張ります。
帰宅後はずっと勉強し、朝は早いバスで登校して職員室の先生の机を順に回り、前日わからなかったことを質問し続けました。
その結果、2学期にはクラスで1番になり、周囲の態度も変わって友人ができたといいます。
最終的には成績優秀者の一人に選ばれて卒業しました。
この1年で孤独に強くなった、というのが本人の総括です。
経歴はメリルリンチから美食家へ
大学卒業後、浜田岳文さんはすぐには就職せず、半年間パリで暮らしています。
大好きな食とクラシック音楽の両方を満喫できる街として選んだ場所でした。
ソルボンヌ大学の外国人向けコースに通いながら、毎晩コンサートかレストランへ。
ミシュランの星付きレストランに通うようになったのもこの時期です。
その後、米系投資銀行のメリルリンチに就職しました。
ニューヨークで3カ月働いたのち日本オフィスへ移り、企業の財務戦略や資金調達、M&Aのアドバイザリーを担当します。
社会人最初の4年間は1日16〜18時間労働が当たり前で、外食できるのは金曜と土曜の夜くらいだったそうです。
そのぶん深夜まで営業している店にはめっぽう詳しくなった、というのが面白いところですね。
投資銀行と投資ファンドで合計10年を過ごしたのち退職し、2年間の世界一周の旅へ出ます。
帰国したのが36歳のとき。
そこから本格的に食中心の生活に入りました。
| 時期 | できごと |
|---|---|
| 1974年 | 兵庫県宝塚市で誕生 |
| 中学2年 | スキューバダイビングを始め、沖縄通いが始まる |
| 中学3年 | 一人でハワイへ1週間の渡航 |
| 高校2年 | オハイオ州コロンバスへ1年間の交換留学 |
| 大学時代 | イェール大学で政治学を専攻。3年半で卒業 |
| 1997〜1998年 | 半年間パリに滞在し美食とクラシック音楽に没頭 |
| その後10年 | メリルリンチと投資ファンドでM&A・投資業務 |
| 34歳頃〜36歳 | 退職して2年間の世界一周 |
| 現在 | アクセス・オール・エリア代表取締役/フーディー |
結婚はせず50歳で独身を選んだ
浜田岳文さんは、50歳を迎えた時点で独身です。
結婚歴や子供についての発表もありません。
本人は取材に対して「今のライフスタイルを続ける限り、結婚したり、子育てをすることは難しい」と語っています。
年間9カ月を海外と地方の食べ歩きに使い、東京の住まいには3カ月しかいない生活ですから、たしかに家庭を持つのは難しそうです。
結婚しなかったのではなく、食と旅を選んだ結果として独身でいるというのが実態に近いのかなと思います。
フーディーとして世界1位の実績
最後に、浜田岳文さんが「世界No.1フーディー」と呼ばれる理由にも触れておきます。
浜田さんはレストランレビューサイト「OAD Top Restaurants」のレビュアーランキングで世界1位を継続して獲得してきました。
2018年から連続で首位を守り続けており、直近では7年連続とも紹介されています。
2017年度には「世界のベストレストラン50」に選ばれた全50軒を踏破しました。
訪問した国と地域は南極から北朝鮮まで、取材時期によって120カ国、125カ国、127カ国、128カ国と数字が伸びています。
年間の外食は約800食。
現在は「世界のベストレストラン50」「アジアのベストレストラン50」の日本評議委員長も務めていて、2024年には著書『美食の教養』を出版しています。
食べログではグルメ著名人、グルメキュレーションサービス「テリヤキ」ではキュレーターとしても活動中です。
浜田岳文の実家のまとめ
- 実家は兵庫県宝塚市にあり、1974年にこの町で生まれ育った
- 実家の詳しい住所や町名は公表されていない
- 旅好きの原点は実家の食卓の壁に貼ってあった世界地図
- その世界地図を貼ったのは母親だった
- 母親は好奇心が旺盛で旅好きだったと本人が語っている
- 幼い頃は食に興味がなく、母の料理を美味しいとも思わなかったという
- 両親が料理人という説があるが、本人の発言とは噛み合わない
- 両親は公務員だったとする情報もあるが、出典は1件のみで裏づけは弱い
- 実家が金持ちという見方は「親が金持ちなわけでもなく」と本人が否定
- 現在は家具も車も持たず、年3カ月だけ滞在する住まいで暮らしている
- 小中学生の頃は1日1冊以上の本を読む読書家だった
- 中学2年でスキューバダイビングを始め、沖縄通いが始まった
- 中学3年の冬に親を説得して一人でハワイへ渡航している
- 関西学院からイェール大学へ進み、政治学を専攻した
- メリルリンチなどで10年働いた後、2年間の世界一周を経て美食家になった

