皇室の装いを長く手がけたデザイナー・芦田淳さん。
その家系図をたどっていくと、日本統治下の朝鮮で病院を営んでいた父の存在や、8人兄弟の末っ子だったという意外な生い立ちにたどり着きます。
さらに、娘婿が政界の大物・山東昭子さんの甥だったと知ると、ちょっと驚きませんか。
・芦田淳の家系図に並ぶ三世代の顔ぶれと関係性
・父・母・8人兄弟という生い立ちの側の家系
・妻・友子、次女・多恵、娘婿・山東英樹と孫までのつながり
芦田淳の家系図でたどる三世代の顔ぶれ
まずは芦田淳さんを中心に、上の世代(父母・兄弟)と下の世代(妻・娘・娘婿・孫)を順に見ていきます。
名前が公になっている人物だけでも、家系図はかなりの広がりを持っています。
家系図の全体像は三世代にわたる
芦田淳さんの家系図は、大きく三つの層に分けて考えると一気に分かりやすくなります。
一つ目が、京都府出身で朝鮮に渡った両親と8人兄弟という「生まれた側」の家系。
二つ目が、芦田淳さんご本人と、公私ともにパートナーだった妻・友子さんの世代。
三つ目が、次女の多恵さん、その夫である山東英樹さん、そして2人の子どもという「継いだ側」の世代です。
つまり芦田淳さんの家系図は、一族がそのままジュン アシダという会社の系譜になっている点が最大の特徴です。
| 続柄 | 名前 | 主な肩書き |
|---|---|---|
| 父 | 非公表 | 朝鮮・全州で病院を経営した医師 |
| 兄弟 | 非公表 | 8人兄弟で本人は末っ子 |
| 本人 | 芦田淳 | ファッションデザイナー |
| 妻 | 芦田友子 | ジュン アシダ代表取締役会長 |
| 長女 | 有子 | 一般人(※単独情報) |
| 次女 | 芦田多恵 | タエ アシダ デザイナー |
| 娘婿 | 山東英樹 | ジュン アシダ社長 |
| 孫 | 2人 | 多恵の子ども |
父は朝鮮で病院を開いた医師だった
家系図をさかのぼって最初に出てくるのが、医師だった父です。
父は京都府の丹後地方にあった実家から、日本統治下の朝鮮へ渡って病院を開業していました。
つまり芦田家はもともと京都の家系で、父の代で海を渡ったことになります。
芦田淳さん自身が1930年に朝鮮の全羅北道全州で生まれているのも、この父の移住があったからです。
ファッションの一族というイメージが強いだけに、ルーツが医師だったというのは意外に感じる方も多いのではないでしょうか。
ただ、開業医の家に生まれたことは、後に自分の名前を掲げて会社を興していく感覚と、どこかでつながっていたのかもしれません。
8人兄弟の末っ子として生まれた生い立ち
芦田淳さんは8人兄弟の末っ子として生まれています。
本名は「淳」と書いて「あつし」と読みます。
大家族の末っ子ですから、生家はかなり賑やかだったはずです。
ところが、その暮らしは長くは続きませんでした。
1941年の父の急逝と引き揚げ
1941年、父が急逝します。
一家はこれを受けて朝鮮から日本へ引き揚げることになりました。
当時の芦田淳さんはまだ10歳前後。
大黒柱を失ったうえに住む国まで変わるのですから、これはきつかっただろうなと思います。
日本へ戻ったあとは1950年に東都高等学校(現・東京高等学校)を卒業しています。
医師の家に生まれながら、家族の引き揚げを経て東京で学び直した経験が、後の人生の出発点になっています。
妻・芦田友子は会社の共同創業者
家系図の中で、芦田淳さんの隣に必ず並ぶのが妻の芦田友子さんです。
友子さんは1933年1月22日生まれで、2026年1月10日に92歳で亡くなりました。
単なる「デザイナーの妻」ではありません。
1963年、芦田淳さんとともにテル工房(のちのジュン アシダ社)を設立した共同創業者であり、株式会社ジュン アシダの代表取締役会長を務めた経営者でした。
芦田淳さんが表現の側を、友子さんが経営の側を担った夫婦二人三脚の体制が、この一族の土台になっています。
60年以上連れ添った夫婦が、亡くなった順番まで含めて会社の歴史とそのまま重なっている……なんだか、しみじみしてしまいますよね。
次女・芦田多恵はタエ アシダの顔
家系図の三世代目でいちばん名前が知られているのが、次女の芦田多恵さんです。
1964年7月3日生まれで、ファッションデザイナー芦田淳さんの次女として東京で生まれました。
学歴もかなり国際的です。
東洋英和女学院の小学部・中学部を経て、スイスのル・ロゼイ高等学校を卒業。
その後1987年に米国のロードアイランド造形大学を卒業しています。
ジュン アシダ入社からタエ アシダ立ち上げまで
多恵さんは1988年にジュン アシダへ入社し、1991年に「ミス アシダ」コレクションでデザイナーデビューしました。
2007年には日本女子大学の客員教授に就任。
2010年には宇宙飛行士の船内服をデザインするという、ファッションの枠を超えた仕事も手がけています。
そして2011年、自身の名を冠した「タエ アシダ」のコレクションを発表しました。
仲間由紀恵さんや高島礼子さん、長谷川京子さんといった顧客の名前が挙がることでも知られています。
長女・有子について分かっていること
芦田淳さんには多恵さんの上に長女がいます。
名前は有子さんとされ、一時期ニューヨークで暮らしていたと伝えられています。
ただ、この情報は限られた媒体でしか触れられておらず、公的なプロフィールでの裏づけは見当たりません(※単独ソース)。
会社の役員や表舞台に名前が出てこないところを見ると、家業とは別の道を歩んでいる可能性が高いと考えられます。
家系図では「長女がいる」という位置づけまでにとどめて見ておくのが妥当です。
娘婿・山東英樹は東大卒の元銀行員
家系図の中で意外にキーマンなのが、多恵さんの夫にあたる山東英樹さんです。
多恵さんは1993年に山東英樹さんと結婚しました。
山東英樹さんの経歴は次の通りです。
| 年 | できごと |
|---|---|
| 1987年 | 東京大学経済学部を卒業 |
| 同年 | 日本興業銀行(現・みずほ銀行)に入行 |
| 1995年 | 参議院議員・山東昭子の公設秘書に |
| 1997年 | ジュン アシダに入社 |
そして会社が50周年を迎えたタイミングで、芦田淳さんが社長を退いて会長となり、山東英樹さんが社長に就任しました。
つまりジュン アシダの経営は、デザインを次女に、会社そのものを娘婿に託す形で引き継がれたわけです。
経理に明るい銀行出身者に会社を任せる判断は、ブランドを長く残すという意味ではかなり現実的な選択だったと言えます。
山東昭子とは姻戚関係にあたる
ここが芦田淳さんの家系図でいちばん驚かれるポイントかもしれません。
娘婿の山東英樹さんは、参議院議員の山東昭子さんの甥にあたります。
つまり芦田淳さんと山東昭子さんは、次女の結婚を通じて姻戚関係で結ばれていることになります。
山東英樹さんが1995年に山東昭子さんの公設秘書を務めていたのも、この血縁があってこそでしょう。
皇室の装いを手がけたデザイナーの家と、政界の家が一つの家系図の上でつながっている構図です。
ファッションの一族という印象だけで見ていると、この広がりはちょっと想像しにくいですよね。
孫は次女・多恵の子ども2人
家系図のいちばん下の世代には、孫が2人います。
多恵さんは1993年の結婚後に2児をもうけました。
2013年時点の報道では、長女が大学1年、長男が中学2年とされています。
そこから逆算すると、現在はどちらも社会に出ている年齢です。
お孫さんたちについては名前も含めて公表されておらず、一般の方として扱われています。
三代目がブランドに関わるのかどうかは、いまのところ表には出ていません。
芦田淳の家系図を調べる人向けの関連情報
家系図と合わせて知っておくと、一族の立ち位置がぐっと分かりやすくなる情報をまとめます。
芦田淳さん本人の経歴や、皇室との関わりについても押さえておきましょう。
中原淳一に師事したデザイナーの原点
芦田淳さんがファッションの道に入るきっかけとなったのが、中原淳一さんとの出会いです。
中原淳一さんは漫画家・編集者・ファッションデザイナーとして活躍した人物で、芦田淳さんはその下で2年間、秘書を務めながら師事しました。
その後1960年に髙島屋と帝人の顧問デザイナーに就任します。
1963年に妻・友子さんとテル工房を立ち上げ、独立を果たしました。
医師の家に生まれた末っ子が、家業とはまったく違う世界で自分の名前を掲げるまでに至ったわけです。
皇太子妃美智子さまの専任デザイナーを10年
芦田淳さんの名前を決定づけたのが、皇室との関わりです。
1966年から10年間、当時の皇太子妃美智子さまの専任デザイナーを務めました。
1993年には雅子さまのウェディングドレスを手がけたことでも知られています。
また1994年の広島アジア競技大会、1996年のアトランタ五輪では、日本選手団の公式ユニホームのデザインを担当しました。
国を代表する場面の装いを任され続けた点が、このブランドが一族経営でありながら特別な位置を保ってきた理由です。
紫綬褒章など受章歴
受章歴も見ておきましょう。
| 年 | 受章 |
|---|---|
| 1991年 | 紫綬褒章 |
| 2006年 | 旭日中綬章 |
| 2010年 | フランス芸術文化勲章オフィシエ |
国内の褒章・勲章に加えて、フランスからも顕彰されている点が特徴です。
パリでのコレクションデビューは1977年で、日本のデザイナーとして早い時期から海外に出ていました。
2018年に88歳で死去
芦田淳さんは2018年10月20日、肺炎のため88歳で亡くなりました。
生年月日は1930年8月21日です。
葬儀は近親者で行われ、お別れの会が後日開かれました。
自宅は東京都目黒区青葉台にあり、フランス人建築家が設計した環境対応型の住宅として知られていました。
そして2026年1月10日には妻の友子さんも92歳で亡くなり、創業者夫妻がそろって世を去ったことになります。
現在のジュン アシダは、次女・多恵さんと娘婿・山東英樹さんの世代が受け継いでいます。
芦田淳の家系図のまとめ
- 芦田淳の家系図は父母の世代・本人夫妻・次女夫妻と孫の三世代で構成される
- 父は京都府丹後地方の実家から朝鮮に渡り病院を経営した医師
- 両親はともに京都府出身で、一家のルーツは京都にある
- 本人は1930年に朝鮮・全羅北道全州で生まれた8人兄弟の末っ子
- 1941年に父が急逝し、家族で日本へ引き揚げた
- 1950年に東都高等学校(現・東京高等学校)を卒業
- 妻は1933年生まれの芦田友子で、ジュン アシダ代表取締役会長を務めた
- 友子は1963年のテル工房設立から関わった共同創業者
- 長女は有子とされ、ニューヨーク在住と伝えられるが単独情報にとどまる
- 次女は1964年生まれのデザイナー芦田多恵
- 多恵はスイスのル・ロゼイ高からロードアイランド造形大学へ進んだ
- 多恵の夫は東京大学経済学部卒で元日本興業銀行の山東英樹
- 山東英樹は参議院議員・山東昭子の甥にあたり、芦田家と姻戚関係になる
- 山東英樹は会社50周年のタイミングで社長に就任した
- 孫は多恵の2児で、2013年時点で長女が大学1年・長男が中学2年とされる

