初代コメットさんとして一世を風靡した九重佑三子さん。あの華やかな笑顔の裏に、どんな家庭があったのか気になりませんか。
調べてみると、実家は東京・上野で書道塾を営む家でした。しかも父親は日本有数の書道団体で2代目を務めた人物で、家の中はかなり厳しかったといいます。
書道に柔道に剣道まで習わされた少女が、なぜ歌の世界へ飛び出したのか。その入口には、実家ならではの事情があったんです。
・九重佑三子の実家は東京都台東区上野桜木の書道塾だということ
・父親が日本書道院の2代目で、家庭が非常に厳格だったこと
・実家での暮らしが16歳の歌手デビューにつながっていった流れ
九重佑三子の実家は上野で営む書道塾
まずは検索している方がいちばん知りたいところ、実家の場所と家業から見ていきましょう。ここは資料がしっかり残っていて、かなり具体的に分かります。
実家は台東区上野桜木にある書道塾
九重佑三子さんの実家は、東京都台東区上野桜木にあります。
生まれたのは1946年3月21日。当時の住所表記は東京都下谷区で、のちの区の再編で台東区上野桜木になりました。
この場所、地図で見るとかなり特徴があります。
すぐ隣が谷中霊園で、周囲には寺院が密集しているエリアなんですね。線香の匂いがする町で育った、と本人が語った記録も残っています。
そして実家の家業が書道塾でした。
単なる町の習字教室ではありません。書道団体「日本書道院」を運営する家だったと複数のメディアが伝えています。
つまり九重佑三子さんの実家は、上野桜木で書道塾を営む、いわゆる文化系の家柄だったということです。
日本書道院はどんな団体なのか
日本書道院は現在も活動している一般社団法人です。
公式サイトによると創立は昭和27年で、昭和32年には文部省から社団法人の認可を受けています。
所在地はやはり東京都台東区上野桜木。九重さんの出身地と一致していますね。
いまは日本書道院展・選抜展・全国学生書道展という3つの書展を毎年開催し、書道教室の運営も続けています。
戦後まもない時期に立ち上がって、70年以上続いている団体ということになります。実家の家業と聞くと個人商店をイメージしがちですが、規模がまるで違いました。
父は日本書道院の2代目を務めた人物
父親については、日本書道院の2代目を務めた人物だと複数のメディアが記しています。
そして性格は「非常に厳しい」。ここはどの記事でも一致していました。
厳しさが分かりやすく出ているのが、習い事の中身です。
娘に書道を仕込むだけでは終わらず、柔道と剣道まで習わせていました。文武両道どころか、かなりのスパルタですよね。
塾そのものも繁盛していたようです。
弟子たちの下駄や運動靴が玄関から溢れていた、というエピソードが伝わっています。稽古に来る人の数がそれだけ多かったということでしょう。
父親は書の世界で2代目を担い、家庭でも子どもに厳格な教育を課した人物だったと見られます。
両親が忙しく、家事を手伝うと小遣いがもらえた
本人が週刊誌の取材で語った話が、実家の空気をよく伝えています。
両親は塾の運営でとにかく忙しく、家のことに手が回らなかったそうです。
そこで九重家では、子どもが家事を手伝うと小遣いがもらえる仕組みになっていました。
甘やかしではなく、労働の対価としてお金を渡す。厳しい家らしい育て方だなと感じます。
……そしてこの小遣いが、あとで効いてくるんです。
母親についての情報は表に出ていない
ここは正直に書いておきます。
母親については、名前も職業も年齢も、ほとんど公になっていません。
唯一たどれるのは、両親そろって書道塾の運営に関わっていたという記述くらいです。前の項で触れた「両親とも忙しかった」という本人の話からも、母親が家業を支える側に立っていたことは読み取れます。
芸能人の親御さんが一般の方である場合、こうして情報が残らないのはよくあること。裏を返せば、表に出るのを避けてこられたとも言えますね。
母親は家業の書道塾に関わっていたとみられるものの、詳しい人物像は公表されていません。
姉が2人いる家族構成
兄弟については、姉が2人いると伝えられています。
お二人とも一般の方で、名前も年齢も公表されていません。
ただ、この姉の存在が九重さんの人生を大きく動かすことになります。
デビューのきっかけを作ったのが、姉の交友関係だったからです。詳しくは後半の項で書きますが、厳しい父親のもとで育った三姉妹の末っ子が芸能界に入れたのは、この偶然があったからでした。
家の中に姉が2人いたというのは、末っ子にとって世間との窓口が2つあったということでもあります。
書道のほかに柔道と剣道も習っていた
九重さんの習い事は、書道・柔道・剣道の3本立てでした。
父親が娘たちにこれだけの稽古を課していたわけです。
そして書道の腕前は本物でした。
小学6年生のときに東京都知事賞を受賞したと伝えられています。家業の看板を背負う立場として、しっかり結果を出していたんですね。
身体を動かすほうも得意だったようで、高校では体操部に所属していました。
将来は体操の先生になろうと考えていた、と本人が語っています。芸能界志望どころか、教員志望の女子高生だったわけです。
実家で叩き込まれたのは、書と武道という徹底して古典的な教養でした。
実家の暮らしから歌の道へ進んだ流れ
ここが一番面白いところだと思っています。
書と武道の家に育った少女が、なぜ歌手になったのか。
鍵は、家事の手伝いでもらっていた小遣いでした。
そのお金で九重さんが買っていたのは、レコードです。エルヴィス・プレスリーやニール・セダカといった洋楽を、繰り返し聴いていたといいます。
厳格な日本文化の家の中に、洋楽が流れ込んでいた。この落差、ちょっと痺れませんか。
そしてもうひとつが姉の人脈です。
姉の友人が、当時人気のバンド「ダニー飯田とパラダイス・キング」の後援会長を務めていました。その発表会の手伝いに行った際、リーダーのダニー飯田さんに声をかけられたのです。
こうして16歳で芸能界入りが決まります。
実家で得た小遣いが洋楽への入口になり、姉の交友関係がステージへの扉を開いたという流れです。
九重佑三子の実家を調べる人向けの関連情報
ここからは、実家と一緒によく調べられている話題をまとめておきます。ハーフ説の真相から、現在の活動までひと通り押さえられますよ。
ハーフに見えるが両親とも日本人
九重佑三子さんは彫りの深い顔立ちで、若い頃からハーフではないかと言われてきました。
結論から書くと、これは誤解です。
両親とも日本人で、九重さん自身も日本人だと複数のメディアが明記しています。
そもそも実家は代々の書道塾。日本の伝統文化を家業にしている家系です。
顔立ちの印象と洋楽好きという趣味が重なって、ハーフ説が生まれたのかもしれませんね。
若い頃はコメットさんで主演を務めた
九重さんの代名詞といえば、やはりドラマ『コメットさん』です。
1967年から1968年にかけて放送され、主演を務めました。
星から来た家政婦が家族と過ごすという物語で、当時の子どもたちを夢中にさせた作品です。
のちに大場久美子さんが主演した版のほうを覚えている方も多いのですが、初代は九重さんなんですよね。
そして同じ1967年、第18回NHK紅白歌合戦で紅組司会に抜擢されます。
このとき21歳。当時としては史上最年少の紅組司会でした。
デビューからコメットさんまでの歩み
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1946年 | 東京都下谷区(現・台東区上野桜木)で誕生 |
| 1962年 | 16歳でダニー飯田とパラダイス・キングの一員としてデビュー |
| 1963年 | 「シェリー」でレコードデビュー |
| 1964年 | ソロ歌手として独立 |
| 1967年 | 『コメットさん』主演、紅白歌合戦で紅組司会 |
| 1973年 | 田辺靖雄と結婚 |
デビューから5年でお茶の間の顔になっているんですから、スピードがすごいですよね。
16歳でデビューしたきっかけ
前半でも触れましたが、きっかけは姉の友人との縁でした。
姉の友人がダニー飯田とパラダイス・キングの後援会長で、その発表会を手伝いに行ったところ、リーダーのダニー飯田さんの目に留まったのです。
本人にはもともと歌手志望があったわけではなく、体操の先生になるつもりでした。
つまり完全な偶然からのスタートだったわけです。
デビューは1962年、レコードデビューは翌1963年の「シェリー」。
その後1964年にソロ歌手として独立し、NHKの『夢であいましょう』『若い季節』にレギュラー出演していきます。
夫は歌手の田辺靖雄
夫は歌手で俳優の田辺靖雄さんです。
結婚は1973年。仲人は森繁久彌さんが務めました。
出会いのきっかけを作ったのも、実はダニー飯田さんです。
九重さんの家は男女交際にも厳しかったようですが、「田辺靖雄くんだけはいいかな」と許しが出たというエピソードが残っています。厳格な家庭の中で、そこだけ扉が開いた形ですね。
その後は『夢であいましょう』などで共演を重ね、結婚に至りました。
2023年には金婚式を迎えており、50年以上連れ添った夫婦です。
長男は肉マイスターの田辺晋太郎
子どもは長男と長女の2人と伝えられています。
長男は田辺晋太郎さん。1978年11月5日生まれで、音楽プロデューサーとして活動しながら「肉マイスター」の肩書きでもテレビに出ています。
2007年にフリーアナウンサーの本村由紀子さんと結婚し、2007年8月30日と2012年4月6日に男児が誕生しました。九重さんにとってはお孫さんですね。
長女は一般の方で、表舞台には出ていません。
ちなみに夫・田辺靖雄さんの姉の子が、ミュージシャンの小山田圭吾さんにあたります。九重さんから見れば夫側の親戚という関係です。
現在も夫婦でステージに立っている
九重さんは2026年時点で80歳を迎えます。
現在も歌手として現役で、活動の中心は夫婦でのコンサートやディナーショーです。
2019年12月には自ら作曲家にオファーしてアルバムを制作したとも伝えられています。80歳を目前にして新作を作る姿勢、正直かっこいいですよね。
夫婦円満の秘訣として本人が挙げていたのは「仕事も家庭も頑張らない」という言葉でした。
洗濯と掃除を分担しているという話もあり、力の抜き方が上手な夫婦なのだと思います。
上野の書道塾で厳しく育った少女は、80歳になったいまも歌の世界で現役を続けています。
九重佑三子の実家のまとめ
- 実家は東京都台東区上野桜木にある書道塾
- 生まれは1946年3月21日で、当時の住所表記は東京都下谷区
- 実家が営んでいたのは書道団体「日本書道院」とされる
- 日本書道院は昭和27年創立で、現在も一般社団法人として活動中
- 父親は日本書道院の2代目を務めた人物
- 父親は非常に厳しい性格だったと伝えられる
- 娘には書道だけでなく柔道と剣道も習わせていた
- 書道では小学6年生で東京都知事賞を受賞
- 母親についての情報はほとんど公表されていない
- 姉が2人いて、いずれも一般人とされる
- 両親が忙しく、家事を手伝うと小遣いがもらえる家だった
- その小遣いで洋楽のレコードを買っていた
- 姉の友人の縁でダニー飯田に声をかけられ16歳でデビュー
- 彫りの深い顔立ちだが両親とも日本人でハーフ説は誤解
- 夫は田辺靖雄で1973年に結婚し、2023年に金婚式を迎えた

