福岡ソフトバンクホークスの先発ローテーションを支える右腕、大津亮介さん。
そのルーツをたどっていくと、福岡市のすぐ隣にある小さな町にたどり着きます。
実は大津さん、プロ入りのときに実家のある町のゆるキャラを、わざわざ寮まで持っていっているんですよ。
・大津亮介さんの実家がある市区町村と、その町がどんな場所なのか
・実家のある町で野球を始めてからプロ入りするまでの道のり
・両親や兄弟、結婚した奥さんについて公表されている範囲
大津亮介の実家は福岡県志免町のどこにあるのか
まずは結論から。大津亮介さんの実家があるのは、福岡県糟屋郡志免町です。
ここでは町そのものの姿から、実家の周辺で野球を始めた少年時代、そしてプロ入りのときに見せた地元への思いまで、順番に見ていきますね。
実家があるのは糟屋郡志免町という町
大津亮介さんの出身地は、複数の媒体が共通して福岡県糟屋郡志免町と記しています。
日本野球機構やスポーツ紙、ホークスの選手名鑑まで、どこを見ても同じ表記なので、ここはまず動かない情報だと考えてよさそうです。
ただし、番地まで含めた具体的な住所や実家の写真といったものは、当然ながらどこにも公表されていません。
そのあたりはプライバシーの領域なので、この記事でも町の範囲までにとどめておきますね。
とはいえ「志免町のどこで育ったのか」については、通っていた学校からかなり絞り込めます。
小学校は志免町立志免中央小学校、中学校は志免町立志免中学校。
どちらも町内の公立校ですから、大津さんは小学校から中学校までの9年間を、志免町の実家から通って過ごしたことになります。
その志免町がどんな町なのかも押さえておきましょう。
福岡市の東側にぴたりと接した位置にあり、福岡都市圏のベッドタウンとして住宅開発が進んできたエリアです。
面積は福岡県内で3番目に小さい自治体でありながら、人口は約4万6000人(2024年12月時点)。
この組み合わせの結果、全国の町村のなかで人口密度が最も高い町という、なかなか珍しい肩書きを持っています。
面積が小さく人が密集しているぶん、町内の移動距離は短めです。
小学校も中学校も自宅から通える範囲にあり、少年野球のチームも町内にありました。
子どもが野球を続けるうえでは、実はかなり恵まれた環境だったのかもしれませんね。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 実家がある場所 | 福岡県糟屋郡志免町 |
| 生年月日 | 1999年1月13日 |
| 小学校 | 志免町立志免中央小学校 |
| 中学校 | 志免町立志免中学校 |
| 高校 | 九州産業大学付属九州高校 |
| 大学 | 帝京大学 |
| 社会人 | 日本製鉄鹿島 |
| プロ入り | 2022年ドラフト2位・福岡ソフトバンクホークス |
実家の近くに立つ旧志免鉱業所の竪坑櫓
志免町といえば、いまはベッドタウンの顔が前に出ていますが、もともとは炭鉱の町でした。
しかもただの炭鉱ではなく、旧海軍が艦船の燃料をまかなうために直営していた、いわば国策の炭鉱です。
その象徴としていまも町の東南部にそびえているのが、旧志免鉱業所の竪坑櫓です。
高さは約50メートル。
コンクリートの塊がまっすぐ空に伸びている姿は、初めて見るとちょっと驚きます。
周囲に高い建物がない住宅地のなかに立っているので、遠くからでもよく見えるんですよ。
この竪坑櫓は2009年に国の重要文化財に指定されました。
つまり大津さんの実家がある町は、日本の近代化を足元で支えた歴史がそのまま残っている場所なんです。
炭鉱が閉山したあと、町は住宅地として姿を変えていきました。
大津さんが生まれた1999年の時点では、すでに現在に近いベッドタウンの風景だったはずです。
それでも、通学路のどこかから毎日あの櫓が見えていたと考えると、なんだか不思議な感じがしませんか。
実家周辺で始めた野球と通った2つのチーム
大津亮介さんが野球を始めたのは、志免中央小学校の4年生のときです。
入ったのは志免ブラザーズという、町内の少年野球チームでした。
意外に思われるかもしれませんが、この頃の大津さんはピッチャーではありません。
主に守っていたのはショートで、6年生のときにはキャプテンも務めています。
小学生でキャプテンを任されるということは、それだけチームの中心にいたということ。
技術だけでなく、周りをまとめる部分も認められていたんでしょうね。
中学校に上がると、志免中学校に通いながら、硬式野球のクラブチーム宇美スターズでプレーします。
宇美スターズがあるのは、志免町の隣に位置する宇美町。
ここでも大津さんが守っていたのはセカンドとショートで、やはり内野手でした。
中学で学校の部活ではなく硬式のクラブチームを選ぶというのは、送り迎えや用具の面で家族の協力が欠かせない道でもあります。
実家から通える距離に本格的なチームがあったことが、大津さんの野球人生を先へ進める土台になったと言えそうです。
ちなみに、大津さんが投手を始めるのは高校に入ってから。
小中学校の時点では、のちに150キロを超える球を投げる選手になるとは、本人も周りも思っていなかったかもしれません。
実家を離れて進んだ高校・大学・社会人の9年
中学卒業後、大津亮介さんは福岡市東区にある九州産業大学付属九州高校へ進みます。
ここは志免町から近く、まだ地元圏内でした。
高校では2年生の春、選抜高校野球大会にベンチ入りを果たしています。
ただしこのときの背番号については、13と伝える資料と16と伝える資料があり、情報が割れています。
いずれにしても控えの立場で、当時はまだ内野手でした。
3年夏の福岡大会ではファーストや外野も守っていて、記録を見るとキャッチャー以外のほぼすべてのポジションに就いています。
投手を本格的に始めたのも高校時代からで、大津さんは典型的な遅咲きの投手なんです。
高校卒業後は東京の帝京大学へ進学します。
ここで初めて実家のある福岡を離れることになりました。
入学時のセレクションでは内野手と投手の両方を受け、投手として合格したという経緯があります。
ベンチ入りは2年秋から。
3年生までは目立った数字を残せませんでしたが、球速は着実に上がり、145キロを超えるようになります。
そして4年秋のリーグ戦では開幕投手を任され、3試合の登板で1勝1敗、防御率1.42という成績を残しました。
大学卒業後に進んだのが、茨城県の日本製鉄鹿島です。
ここでも実家からは遠く離れた土地での生活が続きました。
1年目からチームの主力として投げ、2年目には都市対抗野球と日本選手権という2つの大舞台への出場に貢献します。
社会人時代の最速は152キロ。
高校時代は控えの内野手だった選手が、大学と社会人の6年間でここまで来たわけです。
そして2022年のドラフト会議で、福岡ソフトバンクホークスから2位指名を受けます。
高校卒業から数えて実に9年ぶりに、大津さんは実家のある福岡へ戻ってくることになりました。
| 時期 | 所属 | おもな出来事 |
|---|---|---|
| 小学4年〜6年 | 志免ブラザーズ | 野球を始める。6年時はキャプテンでショート |
| 中学 | 宇美スターズ | 硬式クラブでセカンド・ショート |
| 高校 | 九産大九州 | 2年春に選抜でベンチ入り。投手を始める |
| 大学 | 帝京大学 | 4年秋に開幕投手。防御率1.42 |
| 社会人 | 日本製鉄鹿島 | 2年目に都市対抗・日本選手権へ。最速152キロ |
| 2022年10月 | ソフトバンク | ドラフト2位で指名され地元へ |
実家のある町から贈られたシメッチャのぬいぐるみ
ドラフト指名が決まった2022年の年末、大津亮介さんは志免町の世利町長を訪ねています。
町が指名を祝う横断幕を掲げてくれたことへの、お礼の訪問でした。
このとき町長からかけられたのが、次のような言葉です。
志免町からプロ野球選手が出ることはとてもうれしい、入れたことに満足せず、これから活躍してホークスのエースになれるように頑張ってほしい――。
そして町長からのお土産として手渡されたのが、志免町の公式キャラクターシメッチャのぬいぐるみでした。
頭とおなかに、志免町を表すSとMの文字が入っているキャラクターです。
大津さんはこのキャラクターの存在を、それまで知らなかったそうです。
「かっこいいです。知らなかったけど、志免町にキャラクターができたことがすごいなと思って、うれしかった」と、笑顔で話しています。
……なんか、いいですよね。
そして2023年1月5日、福岡県筑後市にあるホークスの若鷹寮へ入寮する日。
大津さんは、このシメッチャのぬいぐるみを荷物に入れて寮まで持っていきました。
新人選手が入寮日に持ち込むものといえば、普通は生活用品か野球道具です。
そこに地元のゆるキャラのぬいぐるみが混じっているというのは、なかなか珍しい光景だったのではないでしょうか。
「志免町に恩がある」と語った理由
ではなぜ、大津亮介さんはぬいぐるみを寮まで持っていったのか。
本人の言葉が残っています。
「自分は志免町に恩があるので、寮に置いておこうと思いました。これから少しでも早く1軍で投げて、(志免町の)みなさまに投げている姿を見せられるように頑張りたいと思います」
恩がある、という言い方をしているのがこの話のいちばん大事なところです。
好きだから、育ったから、ではなく、返すものがあるという言い方なんですよね。
思い返せば、大津さんが野球を始めたのは町内の志免ブラザーズでした。
中学では隣町の宇美スターズに通い、高校からは投手として一から出直しています。
大学と社会人で福岡を離れた9年のあいだも、町は指名決定と同時に横断幕を掲げて迎えていました。
そのうえでの「恩がある」という一言だと考えると、重みが違って聞こえてきませんか。
同じ日、大津さんはルーキーイヤーの目標として「新人王を取ること。チームの勝利に貢献できるように、けがなくやっていきたいと思います」とも語っています。
そして宣言どおり、2023年4月1日にプロ初登板を果たしました。
入寮からわずか3か月足らずで、志免町の人たちに1軍で投げる姿を届けたことになります。
さらに2025年には、阪神との日本シリーズ第4戦に先発。
5回3安打無失点で勝利投手となり、チームの日本一に貢献しました。
町長が言った「ホークスのエースになれるように」という言葉に、少しずつ近づいていますよね。
大津亮介の実家を調べる人向けの関連情報
ここからは、実家と一緒によく調べられている家族・結婚・学歴・現在について、公表されている範囲で整理していきます。
分かっていることと分かっていないことの線引きも、はっきりさせておきますね。
父親や母親の情報は公表されているのか
先に結論をお伝えしておくと、大津亮介さんの父親と母親については、名前も職業も公表されていません。
スポーツ紙のインタビューでも、球団の選手名鑑でも、ご両親について触れられた記述は見当たらないんです。
プロ野球選手のなかには、父親が元プロだったり指導者だったりして家族ごと話題になる人もいますが、大津さんの場合はそうした報道もありません。
ごく一般のご家庭で育ったと考えるのが自然でしょう。
ただ、公表されていないからといって、家族の存在が薄いわけではないと思うんですよね。
小学4年から少年野球を始めて6年生でキャプテン、中学では学校の部活ではなく隣町の硬式クラブチームに通っています。
硬式のクラブチームは、練習場所への送り迎えや道具代など、家族の負担が決して小さくない道です。
そこを中学の3年間続けられたという事実そのものが、支えがあったことを示していると考えられます。
これはあくまで、公表されている経歴から筆者が読み取った推測にすぎません。
それでも、高校まで内野手だった選手が社会人で152キロを投げるまでになった背景に、実家での土台があったことは想像できますよね。
家族構成と兄弟について分かっていること
兄弟姉妹がいるかどうかについても、公表された情報はありません。
兄が野球をやっていた、弟も選手だといった話が出てくる選手は少なくありませんが、大津亮介さんに関してはそうした記事が見当たらないんです。
検索では「大津亮介 兄弟」「大津亮介 家族構成」といった言葉がよく打たれているのですが、現時点で答えを出せる公表情報はないというのが正直なところです。
一方で、現在の家族構成については本人が明かしています。
2023年に結婚し、同じ年に第1子となる長男が誕生しました。
つまりいまは奥さんと長男との3人家族ということになります。
実家の家族については語られていない一方で、自分がつくった家族については素直に話しているあたり、なんだか人柄が出ている気がしませんか。
結婚した奥さんは福岡県出身の一般女性
大津亮介さんが結婚を発表したのは、プロ1年目の2023年4月のことです。
お相手は福岡県出身の一般女性と伝えられています。
一般の方なので、名前や顔写真、馴れ初めといった詳細は公表されていません。
同じ年の10月には第1子となる男の子が誕生しました。
プロ入り1年目に結婚と出産が重なるというのは、生活面でも相当に慌ただしかったはずです。
実際、シーズンを終えた会見で大津さんはこう振り返っています。
「シーズン中は家族のことも、チームのこともあり苦労した1年目だった。いい結果で終われて良かった」
そのうえで、翌シーズンへの抱負としてこう続けました。
「家族も増えましたし、今年の成績をはるかに上回って、家族と球団に良かったと言われるように頑張りたい」
家族と球団、この2つを並べて口にするところに、大津さんらしさが出ていますよね。
お相手が福岡県出身という点も、地元へのこだわりが強い大津さんらしい巡り合わせだなと感じます。
高校は九州産業大学付属九州高校
大津亮介さんの出身高校は、福岡市東区にある九州産業大学付属九州高校です。
スポーツ紙などでは九産大九州と略して表記されることが多い学校ですね。
実家のある志免町からは福岡市側へ少し出た場所にあり、通学圏内の高校でした。
この高校で大津さんは2年生の春に選抜高校野球大会のベンチ入りを経験しています。
ただし前述のとおり、このときは控えの内野手という立場でした。
3年夏の福岡大会でもファーストや外野を守っており、高校時代の大津さんは投手として注目される存在ではなかったんです。
投手を始めたのはこの高校時代からで、そこから帝京大学、日本製鉄鹿島と段階を踏んで球速を伸ばしていきました。
甲子園のスターだった選手ではなく、高校からの9年間で積み上げてプロにたどり着いたタイプだということが、経歴を並べるとよく分かります。
現在はホークスの先発ローテーションの軸
現在の大津亮介さんは、ソフトバンクの先発陣を支える存在になっています。
2025年は6勝2敗、防御率1.92という数字を残しました。
防御率1点台は、先発として文句のつけようがない成績です。
そして阪神との日本シリーズでは第4戦に先発し、5回3安打無失点で勝利投手。
チームの日本一に大きく貢献しました。
2026年は開幕ローテーションの6番手という位置からのスタートでしたが、シーズンが進むにつれて存在感を増していきます。
エースの離脱もあり、気づけばローテーションの主軸を担う立場に。
6月2日の交流戦、中日戦ではプロ初完投完封勝利を挙げました。
契約更改でも評価は上がり、2025年12月の交渉では1300万円増でサインしています。
実家のある志免町の人たちに投げる姿を見せたいと語った新人が、いまはチームの勝ち星を計算できる先発になったわけです。
町長が贈ったシメッチャは、いまも寮のどこかにいるのでしょうか。
大津亮介の実家のまとめ
- 大津亮介の実家があるのは福岡県糟屋郡志免町
- 番地レベルの住所や実家の写真は公表されていない
- 志免町は福岡市の東に隣接する福岡都市圏のベッドタウン
- 県内で3番目に小さい自治体だが人口は約4万6000人
- 全国の町村のなかで人口密度が最も高い町とされる
- 町の東南部に高さ約50メートルの旧志免鉱業所竪坑櫓が残る
- 竪坑櫓は2009年に国の重要文化財へ指定された
- 小学校は志免中央小学校、中学校は志免中学校で9年間を町内で過ごした
- 小学4年で町内の志免ブラザーズに入り6年時はキャプテン
- 中学は隣町の硬式クラブ宇美スターズでセカンドとショート
- 投手を始めたのは九産大九州高に進んでから
- 帝京大と日本製鉄鹿島で力をつけ社会人時代の最速は152キロ
- 2022年ドラフト2位でソフトバンクに入団し地元へ戻った
- 入寮時に志免町のキャラクター、シメッチャのぬいぐるみを持参した
- 本人は志免町に恩があると語り1軍で投げる姿を見せたいと話していた

